カテゴリ:今、与えられていることに感謝しよう
「はい。これあげる」 妻はそう言いながらわたしにワインレッドの封筒を差し出しました。 「え、何これ?」とわたし。 「まぁ、開けてごらんよ」と妻からの返答。 閉じられていない一辺を開いて、中に収められた紙を取り出しました。 二つ折りになっていて、表にはメロディーが流れ出すボタンがついており、開いてみると視力が悪いわたしには読み取れないのですけれど何やら妻の筆跡で文章が書いてありました。 そうか。クリスマス・カードをくれたんだ。 妻はニヤニヤしながらわたしの所作を一部始終見つめ、わたしはテーブルの上に置いていたルーペを手に取って文面を読み始めました。 考えてみると、こうして改めて妻から手紙をもらうのは、出会って以来初めてのことでした。 わたしから妻に宛てた手紙は何度かありました。 妻の誕生日が巡ってくるたびに、わたしはいつも手紙を添えることに決めていたのです。 実を言えば、自分の誕生日の際に、心のどこかで妻からも手紙がもらえるのではないかと考えていたことはありました。 しかし、残念ながら(?)それはこれまで一度もありませんでした。 その文面を見る限り、妻から怨念のようなものは感じられず、わたしへの感謝の気持ちが込められているように感じられました。 ひと通り読み終えてホッと胸をなでおろすとともに、妻にとっての結婚生活が今のところ幸せなものであることに安堵しました。 夫であるわたしは結婚式の直後に難聴となり、妻にとっては結婚の喜びに浸り切ることもできずに落胆しなければならなかったでしょう。 新婚旅行だって、目と耳が悪いわたしをサポートしながらの目まぐるしい移動の連続で、きっと人並みに旅情に浸ることも難しかったかも知れません。 それでもこうしてわたしとの一年が幸せなものだったと述懐してくれるのですから、わたしは救われる思いがします。 人間は、幸せになることよりも、誰かに幸せに見られたいがために四苦八苦すると言います。 「5万円もするカバンを買ってもらったんだ」、「10万円の腕時計をプレゼントされたよ」など、ついつい自分が与えられた物品をもって誇ろうとしてしまいます。 でも、妻からの手紙は、幸せとはそういうものではないんだと教えてくれたような気がします。 もっと身近なところに、目には見えないけれど感じるべき幸せがちゃんとあるのだと。 これまで活字中毒と言われてもおかしくないほど様々な本を読み、数々の金言を通り過ぎてきましたけれど、もっとも身近な妻が綴った一言一言ほど、胸に響いてくるものはありません。 ときには(たいてい?)至らない面を見つけ機関銃のように叱咤の嵐を見舞ってくれて、わたしは穴だらけになっているわけですけれど(笑)、年に一回くらいはこうして温かい手紙をもらえると、救われるような気がします。 大人になると、むしろ形にならないクリスマス・プレゼントの方が嬉しいものなのかも知れないと感じた一幕でした。 何はともあれ、こうして元気に二人でクリスマスを迎えられたことに感謝します。 ありがとうございました!! 【三文日記】 クリスマスということで、会社帰りにモスバーガーに立ち寄って、モスチキンを買ってきました。 プレミアムモルツをグラスに注ぎ、乾杯しました。 チキンとビールってプラス・マイナスの電気のようにお互いに引き付けあい、抜群の組合せです。 ●今日の天気 晴れ。 ●今日の運動 エアロバイク30分。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/12/26 06:06:59 AM
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