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カテゴリ:音楽
昨夜、なにげにNHKなどつけてみたらフジコヘミングの番組が。なんでも1999年に特集したのが好評で、後に再編集で放映し、今回はまたその焼き直しの様子。
現在はパリを拠点に半年間を世界各国で演奏旅行、半年を日本のお家で猫たちと暮らしているのだそうですが、番組はその日本のお家でのインタビューシーンをメインにしたものだった。 子どもの頃、私はショパンがあまり好きではなかったのよね。 幼稚園に入る頃にはすでにオルガン教室に通い、小学校低学年でピアノを始めるまでには一通りの音符も読めるようになっていたからか、その頃ついた先生は子どもには厳しい方。おかげで楽しいなんて一度も思ったことのないピアノレッスン。ローマ字を習う前にイタリア語の音楽記号を教え込まれて、弾く楽しさよりも音楽を学ぶ苦痛が先だったなあと今にして思う。私がもし子どもにピアノを教えることがあるとすれば、フォルテとフォルテシモぐらい一緒だっていいじゃないか。アレグロだろうがアレグレットだろうが自分の感覚でいいじゃないか。左手の和音がきたなくたって構うもんか、という教え方をすると思うわ。大体、プロになるんでなければピアノなんて楽しめたらそれでいいのだ。好きな曲選んで、それがいくつか弾けたらいいんじゃないの?なんで昔の先生はそういう教え方をしてくれなかったんだろうか? 何年かして妹も同じような道のりでピアノの道に入り、ふたりで新しい先生につくようになったのだが、この先生からは厳しいことも言われず、でももうその頃にはほとほとピアノに嫌気がさしていた私は数年後にとっととピアノをやめてしまったのだ。 逆に妹はそのままピアノの道を歩き続けて、ある時期はいやというほどショパンばかりを弾いていた。ショパン、ショパン、ショパン!!聴かされすぎもあったのか、なんか女々しいイメージのショパンに反発して、私は重い雰囲気のベートーベンのソナタを好んで弾いていたっけな。あ、もう弾けないけど。 そのショパンのイメージをころりと変えてくれたのはフジコのピアノだった。 数は少ないけれど、ピアノリサイタルはいくつか行っている。小学生で最初に見た男性ピアニストの演奏では「自分もピアニストになる」と血迷ったり、中学か高校時代に見た(その頃全盛の)中村紘子は傲慢な態度にうんざりして「大した演奏じゃないくせに」と思ったり(爆)。世界のリヒテルの演奏ではうっかり寝てしまったし、ポップス系ピアノは「これだったら別にCDで十分」と。つまり、ピアノの演奏で「いいなぁ」と思えるものも無かったのね(もっとも、十分な「聴く耳」を持っていないのが一番の問題なのだ)。 けれど、フジコの演奏を初めてテレビで見た時にはすごく感動!!生き方を知ってまたまた感動。まるでドラマなんだも~ん。 昨日の番組内でも「私は自分のラ・カンパネラが好き。他の人の演奏はきらい」とズバッと言っていたシーンがあって、私も「そうそう。私もあなたのラ・カンパネラでないとイヤ」なんて思ってしまった。 なにより私、彼女のファッションセンスが好き。国籍も時代も超えて、自由に自分の感性を貫いているところが潔いしカッコイイ。ピアノ演奏も絵もファッションもインテリアも、すべてフジコ流。 歳を取ったら私もああいう人になりたいわ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月31日 13時44分59秒
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