障害
いまさらだけどボキは障害を抱えている。障害によって選べる選択肢は確実に狭まった。だからってそれが不幸かというとそうでもない。艱難辛苦を舐め尽くし涙を飲んだことも数知れずだと思うけど、そんなことは忘れちまった。いまが最高に幸せだと思うから。いま思えば不要な選択肢を排除するために神様が与えてくれた贈り物だと思う。いつまでも自分探しとかいってぷー太郎をやっているバカは選択肢がありすぎて、どれを選べば自分にとって一番イイのか迷っている。それを避けられただけでも価値はある。事故によって強制的に気づかされたけど狭く限定した自分の行き方によって光を見つけやすくなった。自分の人生はショートカットで遠回りの正攻法を極力避けてきたけど、ショートカットの道は楽ではなかったと思う。人より近道をするってことは棘の道を進むことで、血まみれ汗まりれ、ウンコを漏らしたり、失禁したり、警察の厄介になったり辛く楽ではない道だ。でも楽しかった。そう思えるのは環境は自分ではいかんともしがたい側面はあるけど、そこから受ける感情は自分で決めるというまったくアホな覚悟だった。一分は60秒。1時間は3,600秒1日は86,400秒一年は31,536,000秒そのうち約3分の1は寝て過ごす。ぼっとしている時間や飯やうんこをしている時間を勘案すると約半分が取るに足らないことに費やされる。はっきりと自分で意識して時間を使っているのは、6時間にも満たないはずだ。分数で言うと24分の6で=4分の1だ。だから意識してないルーチン時間ををどう使うかによって人生の方向性が決まる。ボキは細切れ時間は本を読んだり自分の意識する方向性を手帳に書きとめたり、世間様やすべての物事に感謝するようにしている。根がクッソタレなので、怒りに支配されていることや、恐怖にとらわれているときも正直あるのだが、意識してそういうことを感じていることに気づいたときは、その出来事におけるよい側面を見るようにしている。分からないときはそれを気づけない自分を恥じる。そして気づけるように勉強や読書、あらゆる努力をする。そうしていくことしか自分の人生って奴をよりよくしていく手段が見えてこないのは、やっぱりバカの一つ覚えなんだと思う。でも一事をバカになって取り組めない奴は、バカよりもっと愚かだ。一時間はポチっと下部をクリックして応援よろしくです。