725339 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ねこログ

ねこログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2013.01.07
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
IMGP6969 (640x481).jpg
ルリハコベ(サクラソウ科)。「ハコベ」の名にもあらず、ナデシコ科ではない。「亜熱帯」の花で、日本「本土」(!)では、九州、四国、紀伊半島、のみに分布する。
はじめて見たとき、ということは、もちろん、はじめてその「名」を知り、他の「雑草」と「分節化」することで、はじめてその花を「知った」とき、・・・、ということだが、
なんと美しいのだろう?、と感動した。もちろん、「名」を称え、「知る」ことが出来たからこそ、「美し」かったのである。

トートロジーとは、その真理領域が論理空間全体にわたるような命題である。
「真理領域」とは?、真Trueであるか?、偽Falseであるか?、たった二つの値しかとりえない関数(真理関数)F(x)が真となる「定義域」。それが論理空間全体にわたるとは、「任・意・の・xについて」F(x)が真となる、「現実」がどうあっても、それに関わらず、つねに真、ということだ。いつでも正しいのだから、言ってもしょうがないから、トートロジーは「同義反復」とも言う。
真理領域が、あまりにも広すぎるから、「言ってもしょうがなく」なる。ならば、真理領域の広さと、「言ってみる値打ち」、とは、反比例する、と言ってよかろう。
xy=k
xは真理領域の広さ、yは「言ってみる値打ち」、kは定数、である。
トートロジーの対極に、矛盾、がある。矛盾は、論理空間上に真理領域を持たない。「現実」がどうあっても、それに関わらず、つねに偽、ということになる。ということは、真理領域は「空集合」φ、xは極小、ゼロ。ならば、「言ってみる値打ち」、は、無限大(!)になってしまう。
矛盾こそが、最も多くを語る命題、なのである!

すでに確認したように、pの真理領域がqの真理領域を含むとき、pがqから帰結する。とすれば、矛盾の真理領域は空であるから、任意の命題の真理関数は矛盾の真理領域を含み、それゆえ任意の命題が矛盾から帰結することになる。
実際、これは現代論理学の標準的体系がとっている道でもある。ある体系に矛盾が含まれていることがなぜ許されないのかの理由がここにある。矛盾からは何でも導けるため、もし体系に矛盾が含まれていたならば、どんな定理でもたちどころに証明できてしまう。しかしもちろんそんな証明は無効でしかない。つまり、矛盾の存在によってその体系はまったく無効化されてしまうのである。
「ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む」野矢茂樹(ちくま学芸文庫)


子猫は、遊ぶのが仕事だからね!

○○ゼミナール、だか、△△塾、だか、・・・、どうして、通常人生に、ただ一度だけ、通過することが予定されている「大学受験」の、予行演習を年に十数度も行わなければならないのか?、・・・、あんなくだらない、2次関数の最小値がどこで生じるか?、などという愚にもつかない問題を、何度も何度も解かされて一喜一憂しなければならない「受験生」、の皆様には、まことに同情に耐えない、・・・、そんな愚にもつかない問題を、黒板で解いて見せて、いや、ほんとは自分が「面白い」と思う問題だけを解き、「面白い」と思うことだけをしゃべっているにもかかわらず、あなたたちが、年間何十万もの授業料を支払って、その「費用」に見合った「効用」が果たして得られているのか?、と、当然浮かぶだろう疑問を、「これは、試験に出ますから・・・」という「脅迫」(笑)によって、ときどきは封殺してみせることを、日々の生業としている「当事者性」(笑)には、目をつぶっていえば、・・・、なのであるが、・・・、その、「センター試験・プレテスト」とかいう最終の模擬試験の、数学IA、「必要条件と十分条件」のところに、ちょっとコントラヴァーシャル(論争的!)、な、問題が出ていた。
pの「真理領域」がqの「真理領域」に含まれているとき、pからqが帰結する。
集合pが集合qに包含されていれば、任意のpの要素は、qの要素でもあるから、命題「pならばqである」は「真」である。
このとき、pであることはqであるための十分条件である、という。
では、pが「空集合」だったら、どうするのだ?
不用意な出題だ、とは思う。「解説」には、「空集合はすべての集合の部分集合であるから・・・」とこ・と・も・な・げ・に書いてあるので、当然にも、「なんじゃそりゃ?」と思った生徒さんが質問をぶつけてきた、わけだ。

「空集合」は、要素を持たない集合である。要素を持たない集合が、どうしてほかの集合の「部分」足りうるのか?
そんなのは「常識」に反している。いや、数学や論理学というものは、とかく、「常識」に反しているものなのだよ、というのも結構だが、・・・、「常識に反して」いなければならないことには、「理由」があったはずだ。「理由」を問う「無限後退」を、ときにして見なければやまない、「病者」であるから(笑)、やはり、考え込む。
(1)どうして、aの0乗は1なのですか?
(2)どうして、0!、0の階乗、は1なのですか?
(3)どうして、1は、素数ではない、のですか?

(1)aの0乗、という言葉に常識的な「意味」は、ない。aを0回掛ける、という行為は想像することができない。aに対して「何もしない」、ということなら、それはaのまま、ということであっても、よ・か・っ・た・。にもかかわらず、aの0乗を1と決・め・た・、のは、・・・、
「指数法則」を、守・り・た・か・っ・た・、からだ。
aの(-n)乗、とこれまた「常識」に反する記法を、aのn乗の逆数のことだ、との「約束」に基づいて導入したとき、もし、「指数法則」、
aの(m+n)乗は、aのm乗とaのn乗の積である、
を「守りた」ければ(!)、
aのn乗とaの(-n)乗の積は、逆数の積なんだから、1にならざ・る・を・得・な・い・、ということだろう?
(2)n!「階乗」というのは、「自然数」nから始めて順に1ずつ小さいものを掛けていって、1になるまで続けろ!、という「命令」なのであるから、はじめから0なら、それはそもそもその「手続き」の「定義」に反している。
n!=n×(n-1)!
という式は、(n-1)が「自然数」である限り、すなわちnが2以上の自然数であるときに限り、成立する恒等式であるが、
これを、n=1に対しても・、成立させたい(!)と、願・っ・た・からこそ、0!=1、でなければな・ら・な・く・な・っ・た・のだろう?
(3)同様に(笑)、・・・、少し飽きてきたからね!、・・・、1が素数であっては「困る」のは、「素因数分解の一意性」、が、守・ら・れ・な・く・なるからだ。
24=2^3・3^1
24は2の3乗掛ける、3の1乗、と素因数分解、すなわち「素数」の積に分解、できるが、もし1が素数なら、
24は2の3乗掛ける、3の1乗掛ける、1の8乗、でも100乗、でも、何でも言えてしまうじゃないか?

Aが「空集合」なら、それは集合Bに包含されている、と、言わな・け・れ・ば・な・ら・な・か・っ・た・のは、なぜだろうか?
AがBに包含されているならば、任意のAの要素はBの要素でもある。したがって、AならばBである、といえる。
ここでもしAが空集合だとしても、この「論理」を全うさせた・け・れ・ば・、・・・、Aは空集合なのだから、どんな「もの」(?)をとってきても、それはAの要素ではない。Aの要素であるようなものは、「この世」に(笑)存在しない。つまり、Aである、と主張することは、はじめから、間違っている、「つねに偽」、なのである。つねに「偽」である仮定から出発して、AならばBである、が帰結する。あ、だから、これは上に引用した、「矛盾」、なのだな、と、膝を打った次第である。
前提が間違っていたら、どんな結論でもいえてしまう(!)。なるほど、これがシステムに「矛盾」があってはならない理由で、ということは、・・・、「矛盾」を排除し・た・け・れ・ば・(!)、
前提が間違っていたら、どんな結論でもいえてしまえな・け・れ・ば・な・ら・な・い・(!)のだね。
論理学の入門書、的なものには、しばしば、「もし私がナポレオンならば、太陽は西から昇る」、だったっけ、そんな感じのめちゃめちゃな「命題」が例示されていて、ほら、前提が間違っていれば、結論に何を持ってきても、その「命題」は正しいのだよ、と説明されていたりするのだが、・・・、でも、「私はナポレオンかもしれないじゃないか?」、とか、「本当に太陽は西から昇ってはいないのか?」、とか、考え出すと、それは「経験」に依存しているのだから、「論理」判断になじむんだろうか?、などと、また「発狂」しそう(笑)だから、深入りしないでおく。

IMGP6911 (640x480).jpg
カッコウアザミ(キク科)。近縁種にムラサキカッコウアザミ、というのがあって、いや、これも紫じゃないか?、とも思うのだが、そちらの方が、もっと、紫、なのだ、・・・、などということも、知った。

そのときの、生徒さんの質問に対する、とりあえずの間に合わせの「答え」は、こんな感じ。
きっと、「対偶」、や、「背理法」、という論理学の基本的ツールを、「守りたかった」んだ(!)。
(1)AならばBである、の「対偶」は、「Bでない」ならば「Aでない」。Aが空集合ならば、要素が何もない集合ならば、「Aでない」、Aの補集合は、全体集合、定義域の、「論理領域」の、すべての要素を含むものでなければならない。Bがどんな集合であっても、それは、間違いなく(!)、「全体集合」の、「部分集合」、ではないか!
(2)「背理法」は、「AならばBである」、ことの証明を、「『Aであり、かつ、Bでない』と仮定すると、矛盾が生じる」、との事実を示すことによって代用する(!)技術だ。
矛盾、すなわち、「Aであり、かつ、Bでない」が空集合、であることを導けばよい。
Aが空集合なら、もちろん、「Aであり、かつ、Bでない」も空集合である。証明終わり。


え、文字数制限オーバー、だって?、まだ、しゃべりたいんだけどな・・・。この項、まだまだ、続く・・・。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013.01.09 13:57:02



© Rakuten Group, Inc.