カテゴリ:The BRIDGE
『早瀬大橋』(江田島市) 昭和36年の音戸大橋開通により,早瀬瀬戸を挟んだわずか300mほどの対岸である倉橋島までが本土と陸続きとなった。 このことは江田島の島民に大きな刺激を与えることとなり,早瀬架橋への機運が高まりを見せた昭和38年には全国的にも珍しい「10円募金運動」にまで発展し,これにより集まった金額は300万円にも達したとされる。 こうした地元島民の強い熱意に支えられ,昭和42年より広島県は,島の本土化による民生の安定と開発促進の効果による産業経済の発展を目的として,国庫補助による早瀬大橋架橋事業を開始した。 早瀬瀬戸は,音戸ノ瀬戸と並び安芸灘と呉港を結ぶ重要な航路として,3000t級の大型船舶をはじめ海上自衛艦や小型船舶が一日平均400隻航行しており,航路高36m以上,航路幅200m以上を確保することが求められた。 これを満足しうる橋種として,構造安定性・経済性・施工の確実性・走行性のほか,瀬戸内の景観にも調和するよう配慮し,主橋梁に3径間連続トラスを採用した。 早瀬大橋で初めて試みた,トラス橋での大ブロック架設の技術は,その後に広島県が架設した蒲刈大橋や豊浜大橋の建設において,トラス橋での大ブロック一括架設へと継承された。 早瀬大橋の完成で江田島が陸続きとなる! 架橋工法も早瀬大橋が元となり、各地の架橋に応用! 日本の技術力はこうした応用からできています! 凄いぞ日本人!!! 週末、小春日和になれば、早瀬大橋近辺の沿岸沿いのドライブにいってらっしゃいませぇ~♪♪♪ はい、それでは今日も笑顔で元気にがんばっていきましょう!!! 以下、「宮迫接骨院オフィシャルホームページ」&「接骨院共同運営サイト」もよろしくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.14 07:17:02
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