焼きそばサミットには、みなさん食べ物だけに、喰い付きが良かったようです。ん?黒石こみせ通りかな?私からの発信は弘前公園ばかりだから、違う都市の話題だからかな?なんにせよ、黒石市の成り立ちなんかも書いた事がないし、黒石藩なるもの自体、私からの発信はなかったからかもしれない。
ならば~である。黒石藩は、江戸時代の前期、明暦2年(1656年)弘前藩の藩主、津軽信義の急死により、四代藩主・信政が藩を任される事になりましたが、幼少のため後見役が必要となり、幕府の命により、津軽信英が任ぜられました。その際、弘前藩から五千石を分地され、初代黒石藩主・津軽信英が誕生し、黒石津軽家が生まれたのです。
こんな黒石藩の生い立ちを見てもだれも楽しくはないだろうけど、黒石を語るためには必要です。なぜ生まれたのか!津軽の地に新しく創立された黒石藩主はたちどころに、侍町・商人町など町割りを進めます。この商人町こそが全国的にも貴重な古い町並みであると、文部科学大臣から「重要伝統的建造物群保存地区」として認定されたのです。これが今の「こみせ通り」なのです。昨日の写真ですね。このこみせ通りは、今なお江戸時代の情緒を残し、市民に親しまれていることから、昭和62年「日本の道百選」にも指定されました。
飛騨高山の宿場町風情や大内宿風景にこそ敵いませんが、それなりの風情を残しているのです。何と言っても、こみせが貴重です。家の中でも外でもない柱が通路を作る。その柱に「しとみ」と呼ばれる板戸を落とし入れると雪害を防除でき、人々が行き来する事ができるのです。昔は弘前にもありましたが、いまでは痕跡しか残っておりません。
この黒石のこみせ通りには、私の大好きな「干梅」(先日写真を貼りました)の松葉堂はじめ、こみせ美術館、かぐじ広場、重要文化財高橋家(昨日貼った喫茶)、中村酒造(NHHK大河ドラマいのちの舞台になった)、黒石ゆかりの作曲家資料館、じょんから広場と八甲田の伏流水が湧き出る小見泉(こみせん)、津軽こみせ駅(観光情報発信)と秋田雨雀記念館、市文化財鳴海家住宅(昨日貼った帳場のあるお店です)と庭園などがあるのです。歩いて回るだけでも、かなりの時間が必要になります。
さてと、今日・明日は「ひろさき卍フェステバル」が行われます。楽しみにしていた最後の大きなイベントになります。空白さんとガチンコするかもしれないですね。また、ネタが被っちゃうかも!まずは追手門広場に行って、B級グルメとステージショーを堪能して、午後2時からの武者行列の観賞です。明日は楽しみにしていた流鏑馬もあります。お腹が空いてきたので、朝飯でも喰いますかな。へばへば!