M氏:赤トンボ
単純なメロディーが、深くこころに刻まれるのか。子どものころのなつかしい記憶と重なるのか。日本に遥か遠い地で、楽団は人々の心を静かに熱くさせた。どんなにつらいときでも、厳しい環境でも、人は楽しい瞬間を求めるし、感動する必要がある。それは「ひとのこころ」をやわらかく、豊かにしてくれる。ものごとを越えていく力をそっと与えてくれる。日本へ帰れないのではないか・・・、そんななか、作業の帰りに赤トンボを歌っている人々の胸のうちには何が浮かんでいたのだろうか。しかも、そうしているうちに、さらに日本から遠ざかる。「収容所の門を潜ると、20名ほどの楽団員の姿が見えた。聞けば、ハバロスクで編成された旧関東軍軍楽隊の日本人ばかりの楽団だとのことだった。磨き上げられた楽器がキラキラと光っていた。夕刻になって、続々ともどってきた作業隊を待ちうけるようにして、団長からの労い(ねぎらい)の言葉があって・・・いよいよ演奏が始まった。「越後獅子」「城ヶ島の雨」「七つの子」・・・・・・・・・・・・・・懐かしさのあまり、あとからあとからこみあげてくる涙をこらえることができなかった。時間のたつのも忘れているうちに、沈みかけた太陽を背に、団長の音頭で「赤トンボ」の合唱が沸き上がったとき、営庭はまさに興奮のるつぼとなった。夜半十二時過ぎ、ようやく陽が沈んだ。もちろん興奮は醒(さ)めやらず、暗闇の営庭からいつまでも人影が去らなかった。・・・・・・・・・・・・・そろそろ秋も近くなって、赤トンボの群れがとび交う季節になると、楽団とともに「赤トンボの歌」を歌ったあのときの感激が忘れられないのか、どの作業隊も「夕焼け 小焼けの赤トンボ・・・」と歌いながら帰ってくるようになった。そんな八月のある日、突然、全く前ぶれもなく「これから全員が移動するので、すぐ装具をまとめろ」ということになった。 突然のあかり行き先もわからないまま、乞食同然の姿でトラックに乗せられた。坂を下って右へ曲がれば奥地へゆくことだし、左に曲がればハバロスクの方に出ることだけはわかっているのだが、果たしてどちらへ行くことやら・・・・。トラックは坂を下って行った。さて、どちらに曲がる?目をつむって祈るようにしてその瞬間を待った。しかし、残念!無情にも右折したトラックは、いよいよスピードを上げて奥地目指して邁進(まいしん)し始めたのである。」(「野バラの実に」より)