図書館で考えたアート続き
今日は主に書に親しんだ日でした。書道塾へいくまえによれっとしていたサボテンを添え木してやりました。まっすぐにしてみるとかなり伸びている・・。植物もかわいがってやらないといけませんね。午前→書道塾へべんきょうへ午後→創作書を自分でエスキース。数時間かけててがかりがつかめてきたようです。さて、本題。図書館で考えたアート。美大の図書館にデザインの本が豊富であったのに対し、市立図書館にほとんどデザインの本がなかった話し。つまり、一般社会的に、アート=ファインアート=眺めて楽しむものがアートである、という認識なんだろう、という想像ができる。でも、10年くらいものをつくっていると、ファインアートとデザインをわけるより、「つくった人間の個性と創造力がいろこくでているか、いなか」でわけるほうが、いいんじゃないかと思う。例えば、デザイナーズブランド。ひとりのひとの発想をふくらませて新しいものが次々にうまれてくるのでこれは非常にアートな仕事をしている人が多い領域。例えば、師匠のいう通りの中で描きつづける絵画制作。自分で「いかにどうなっているのか?どこを自分は真似ていて、自分はどこまで真似たらあとどうしよう?」とか考えていたら自分だけでつくっていく途中をとおっているといえるけれど、そうでないと、ひとりでどう描いたらいいかわからなくなってしまいます。あれ、難しくないアートの話しをするつもりが、話がわかりずらくなってきたようです。ざっくりいうと、「いかに自分でつきつめて考えるか」が核心。それはなんであっても、じわっとその人がにじみでているもの。だからこそ、人をふりむかせ、ひきつけて放さない魅力がある。そういうものがアートだと思っているのです、といいたいのですが・・。ほら、それはデザインの世界にもあるでしょ?他の世界にも。だから!生活の中にアートはいきているんです!と力説したところで、大分長くなったので今日はおしまい。頑張ったぞ。明日もかけるかしら?