*モナミ* SMAP・映画・本
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2001年秋頃から、時々発熱したり、だるかったり。 でも「疲れだ」「遊びすぎだ」と思い、SLEとは結び付けませんでした。 あまりにもそれまで元気だったから、もう治った気でいました。 実際、月一の検査結果もずっと良好だったし。 年末年始あたりから、熱が出る間隔が狭まってきた。 でも関節の痛みなどはなく、解熱剤を飲めば下がったのでほっておきました。 遊びまくりました。 3月末から4月にかけて、解熱剤を飲んでも熱が下がらなくなり、ほんとにヤバいと思いGW中に九大病院へ。 長い時間をかけてプレドニンを1錠まで減らしたのに、また6錠もらって即入院と言われたが、ベッドが空いておらず、 髄膜炎でお世話になった先生が福岡西区の病院にいるというのでそっちへ。 「すぐ来い」と言われたが、北九州から福岡西、熱もあるのに電車で行くわけにも行かず、車もないし。 翌日5月8日、父の出勤前、6時に家を出て7時半に到着。 寒い待合室で8時半の受付まで待つ。 朝は具合よかったのにやっぱり寒さのせいか、熱が上がってくるのが分かる。 やっと受け付けて検査、診察。 寒くて寒くて、とりあえず横にならせてもらう。 毛布を5枚、アンカを入れてもらっても震え止まらず。 あんなに寒かったのは生まれて初めて! 凍え死ぬ!と思った。 やっと病室の準備が整ったがもう立てず、ストレッチャーで運ばれる。 待合室を通る時、「なんか重病人ぽい」と思ったのを覚えている。 すぐに解熱の座薬と栄養点滴。 最初は座薬入れられなかったが、毎日入れていたら慣れました。 というか、毎日熱が下がらず。 39度と37度が一日おき。 37度の日は比較的元気だけど、39度の日はさすがにキツい。 薬が増えたせいで胃が痛み、ほとんど食事できない状態。 なので毎日6時間の栄養点滴。 母に見せると驚くので、母の来ない時間にお願いしていました。 点滴のせいでトイレが20分おき。 もうトイレにずっと座ってようか、と思うくらい。 睡眠薬を飲んでも眠れず、食べれず、体重は減り続ける。 1ヶ月で10キロ減。 「このまま死んじゃうんじゃないか」と本気で不安になる。 4人部屋だったけど、周りのおばさん達が悲観的で、その話を聞かされるこっちの病状が悪くなりそうで、転院希望。 家から2時間じゃ父母も来るの大変だし。 髄膜炎の時、「ただの風邪だ」と診断してくれた病院にリュウマチ科があったことを思い出し、転院希望。 6月8日転院。 今度は家から歩いて15分。 気分的に楽になり、食べれるように。 母も仕事帰りに毎晩、父は出勤前に「お腹が空いて目が覚める」という私に、 炊き込みご飯だのバナナだのリンゴだの持って毎日来てくれました。 2ヶ月ほど不正出血が止まらなかったので、近所の婦人科へ。 異常なし。 薬と生活習慣の変化のせいだそう。 「胃が痛い」とつい先生に言ってしまい、再び胃カメラを飲むことに。 あんなに「もう2度としない!」と誓ったのに。 でも今度の先生は本当に上手だった。 喉の麻酔を2度もしてくれて、安定剤まで注射してくれて。 それでもオエっとなりました。 どうやら私の喉の形が胃カメラ向きじゃないみたい。 でも内視ファイバー鏡とかある時代、どうしてあんなデカいカメラ飲まなきゃいけないんだ?? 主治医の女医さんが、ずっと背中をさすってくれました。 やっぱそういう細かいところに行き届く病院がいいね、同じ入院するなら。 熱は39度まで出ることはなくなったが、37度から下がらず。 平熱が37度なんじゃないか?と思う。 体も慣れたのか、37度でも普通の状態。 6月19日、お友達がハイセンスを持って来てくれたので、早速母にバケツを頼み、足浴。 その日の夜、熱が下がる。 翌日も発熱なし。 翌々日もなし。 1週間後の6月25日、退院。 今までの長い入院期間は一体何だったんだ??
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