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カテゴリ:職人の学び場
昨日、富士宮市総合福祉会館で開催された講演会
「学校へ行かない気持ち行く気持ち~不登校・ひきこもりの理解と支援~」 講師は野村俊幸さん。 北海道から来てくださいました。 野村さんはご自身もお二人のお子さんの不登校を経験されたという 社会福祉士・精神保健福祉士さんです。専門学校や教育大学で非常勤講師としても活躍されています。 当事者であり支援者である野村さん。 たぶん、つまらない話ではないだろうと思い、 どんなお話が聞けるのか?と足を運んでみました。 実は、私、小学生の頃学校になかなか来ることができない友人を毎日毎日お迎えに行っていました。帰宅後も、毎日毎日プリントなどを持って通っていました。 時には先生と一緒に学校の授業を抜け出して、 彼女を無理やり車に乗せて登校させるための助手になったり。 時には私の家に遊びに来てもらって一緒に勉強をしたり。 彼女の部屋で漫画を読んだり 今で先生とおばさんが話をしている横で レモンティーを飲みながらガンダムやトム&ジェリーを観ていたり 今でも呼び鈴の音楽をはっきりと覚えています。 35才になった今になってやっと言えるけど、 実はとても辛かった。 友人が嫌がっている姿を毎日見て、 泣き叫ぶ彼女を無理やり車に乗せて 迎えに行っても来ないことはわかっているのに行かなきゃいけなくて 一緒に登校できる時はうれしいんだけど、私も緊張した 本当は私も学校なんて行きたくなくなっていたけど 行かなきゃどうなるか、とてもよくわかっていたから 歯を食いしばって学校へ行った たった二年の事だけど、その二年の影響は本当に大きくて こうして書いていても胸がバクバクしてきてしまう。。。 小学校は5年生以降、中学校もほとんど来なかった彼女。 中学卒業した後の彼女がどうしているか、今どこで何をしているかはわからないけど、 気になっていた。 なんか、ずっと凄い悪いことをし続けてきた気がして。 謝りたいという気持ちと、 本当はどうだったのか知りたい気持ちと、 私の気持ちも聞いてほしいと思ったのかも。。。 今回、講演会終了後の座談会で、一泣きして帰ってきました。 野村さんの場合、上のお子さんの時には必死に登校させようとして お子さんを追い詰め互いに結果お子さんはボロボロになってしまったのだそう。 結局、高校進学へのこだわりを捨てることで道を開き、お子さんも元気になられたそう。 さらに下のお子さんの時には、上のお子さんの時の反省から「受け止める」ことをされたとのこと。心行くまで家でゆっくり休ませ、ゲームにふけろうが昼間の外出をしようが、どっしり構えて見守ったのだそう。 「上の子に続いて下まで、せめて一人くらいまともに学校へ行ってくれないか」 と思いたいところを、ぐっとこらえ、冷静に考え、誰のための人生か、誰のための 心配か・・・困るのは誰なのか… 考え付いたところは、「親の不安・親の焦り」「教師の焦り・学校の都合」 というあたり。野村さんの場合には上のお子さんの背景にはいじめがあったそうですが、 不登校の原因には教師によるものもあります。 体罰や教師によるいじめ、性被害など。 やはり親としては子どもがどのような理由であれ 学校へ行きたくないと感じだしたら、まずはそれを受け止めてあげたい、とおもいます。 当事者としての野村さんから、関係者にお願いしたい不登校支援のポイントを少し紹介。 ●勉強の遅れという不安に対しては、思いきり勉強を忘れることも重要 ●学校に行かないと社会性が身につかない、という不安に対しては、学校だけが成長の場か? ●昼夜逆転は自然現象としてとらえる そして、さらにこんなくだりも。。。 ●「友達のお迎え」は本人をさらに追い詰め、友達も傷つける危険性がある。 だから、 ●誰のための援助かを常に検証する ●お互いの対T場を尊重した家庭訪問や連絡体制を整え、学校と家庭で良い関係を築く ●不登校も選択肢の一つという柔軟な発想を持つこと ●不登校=問題行動と考えるためにそれを無理に矯正しようとすると二次障害を引き起こす ●学校復帰は目的ではなく、結果の一つ。目的は子どもが元気になること そして、 ●とにかく焦らないこと 新学期から、とか進級したら、とか、学校行事には、という期限目標がプレッシャーになる これらはおそらく、子ども本人というよりも、こう考えることで、親も、 そして、教師もが楽になる。その結果として、子どもがプレッシャーや抑圧から解き放たれ 本来の自分として存在することが初めてできるのではないかと思う。 そして、その子の周りにいるほかの子どもも。 私は、一つの手段として活用された!?わけだけど、今回、野村さんからそのお友達のお迎えほどきついことはなかった、って、はっきり言われて、手紙は箸でつまんで捨てていた、って。それを聞きながら涙が止まらなかったけど、それが本当だと思うし、当時からわかっていた事。聞くことができずに、先生に言われるがままに良いことして頑張っていた自分を思い出して、涙を流しながら小さな私を抱きしめてあげることができた。 この講演会の有意義なところは、この当事者としての一方的な話で終わらないところにあった。 職業柄、後半はしっかりとソーシャルワークによる総合的な支援方法について駆け足で説明くださった。 柱は5本! ●バイステックの「ケースワークの原則」(第1~第7)を用いて、次のステップ連携・社会資源の活用につなげる。 SALT流に簡単に言うと、対象を個人として丸ごと受け止めること、感情表現をしっかりと(もちろん強制ではなく)させること、自己決定を尊重すること、で、信頼感のある支援関係を作る。 ●エンパワメントを重視。 本人を取り巻く環境条件や周囲の不適切なかかわりをうまく調整し、本人が本来持っているパワーを発揮できるように寄り添っていく ●当事者(自助)グループの活用 似た立場の生きた情報や言葉に癒され足り次便の気持ちを整理できたりすることで次のステップへ歩むことができるように。 ●コミュニティーワークの重要性 学校現場で起きることではあるけれど、学校だけで抱え込まない!関係者が自分たちができるサービスを吟味していくこと、誰がどのような形で関わっていくことができるかを考えながら、個人の問題とだけせずに社会システムの問題としてもとらえることでシステム改善につなげる。学校も子育てネットワークの一つとして、子どもの最善の利益という価値観の基に動く。援助方針の決定の際には本人の参加と同意が原則。 ●ソーシャルアクション 不登校は教育改革抜きに解決なし。 道草や回り道を大切にするような柔軟な教育や就労のシステムを。 学ぶ権利の保障として、子どもたちに多様な学びの場・成長の場を。 まとめとしては 信じて待つ!信じて見守る! これに尽きるようです。 これは、妊娠・出産のプロセスにも、その後の育児の数々の場面にも共通と感じる私。 待つ=何もしないことではない。と野村さん。 親や周りの大人はしっかりと子どもに寄り添い、受け止めていることをきちんと伝え 態度で示すことが大切と。 でも、待つことには大きなエネルギーが必要。 だから待つ人を支える取り組みが大切であると。 同感。 この待つことができる親になるためのヒントが出産にあると確信している私。 自分の思い通りにならないことを、出産を通してしっかりと受け止めることができたら、 その後の子育てでも、待つ姿勢を持つことができるのではないかと思う。 時には怒りにまかせて待つことなど忘れてしまう事もあるかもしれないけど、 出産した時に立ち戻れば、 生まれてくる子供の力を信じ、 産む自分の力を信じ、 自分たちを支えてくれる医療者を信じ、 必要時に適切なサポートを受けながら、 自分が主体となって、 一緒に出産を乗り越えていけば、 それはきっと自信となって、その後の子どもの成長もしっかりと受け止めながらやっていけるようになる。 必要な時には必要なサポートをうけることができるようになる。 そうした親に育てられたら不登校にならないかもしれないし、 それでも不登校になったとしても、また親子で一緒にそれなりに道を見つけ歩んでいけるんじゃないかな。 今回は自分の個人的な体験の浄化作用もあって、 何とも言えない機会となった。 でも、私はこの体験もきっと無駄じゃなかったんだと思うし やっぱり今でも気になる彼女の今だけど、 彼女は自分の意思をしっかりと持っていた賢く勇気のある女性だったのだと思いなおすことにして、そんな彼女はきっと今、どこかで元気に輝いて居るであろうことを願って 私の過去の傷も、手放すことにします! 思いもよらず、35まで引きずってきたことを痛感したけれど、 これで私の一部がまた前を向いた。 素敵な機会を与えてくれた、ふじのくにエデュケーショナルネットワークの皆さんに感謝します。 子育てチーム仲間のMさんや木下さんのおかげで、 個人としても、母力の代表としても、 今の活動が、学齢期の子育てにも意味を持ってつながっていることを再確認できました。 そして、ソーシャルワーク、コミュニティーワーク、ケースワークという、 保健師に欠かせない部分も改めて今の活動にも照らし合わせて再確認できた。 やっぱり、どこに誰がいてどんなことができるか、その人となり、スタンスなんかを知っていることって大切。今回も素敵な方々にお会いすることができました。 いってよかった~^^/ それにしても、この場にもっと学校関係者の姿があってもいいのに・・・ と感じたsaltでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年06月06日 02時54分48秒
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