10月8日決勝のF1日本GP。鈴鹿サーキットを舞台に繰り広げられる20回目のF1GPとなります。
2007年には日本GPは富士スピードウェイで開催されることが決定され、鈴鹿での日本GPはひとまず幕を閉じることになります。
20回目の鈴鹿でのF1GPを記念して1987年から2005年までの模様をダイジェストした記念DVD
が9月22日に発売されます。
10年ぶりの日本でのF1開催となり、日本人初のレギュラードライバーである中嶋悟の登場に心揺れた1987年。
セナが初めてのチャンピオンを獲得した1988年。
シケインでプロストとセナが接触し、再スタートしたセナが失格となったのは1989年だった。
1990年には鈴木亜久里が日本人として初の表彰台に登ったが、スタート直後のセナとプロストの接触という後味の悪い事件もあった。
チャンピオン争いを展開していたマンセルが1コーナーでコースアウトで涙をのみ、チャンピオンを確定したセナがベルガーに勝利を譲ったのは1991年だった。この年の鈴鹿には「ありがとう」の言葉がサーキット中に翻り、中嶋の日本でのラストランを見送った年でもあった。
1992年はホンダ第2期F1活動最後の年。しかし、鈴鹿サーキットを席巻したのはウイリアムズ・ルノーであり、念願のタイトルを決めていたマンセルはパトレーゼに勝利を譲る演出を行った。
1993年は劣勢のマシンで奮闘するセナが、雨の中プロストを抜き去った。しかし、最も話題になったのはこのレースでデビューしたアーバインがセナに殴られたことだったかも知れない。
1994年、鈴鹿にセナはやってくることはなかった。雨で2ヒートとなったレースは、ヒルがシューマッハを押さえきったベストレースの一つ。
セナ亡き後のF1を引っ張るシューマッハが圧勝したのは1995年。鈴木亜久里はF1ラストレースを予選でのクラッシュで終えた。
1996年はヒルが親子2代にわたるチャンピオンを獲得した。
1997年はビルヌーブとチャンピオンを争うシューマッハが勝利し、最終戦に望みをつないだ。
1998年には、ミカ・ハッキネンが初栄冠。勝利を飾ったハッキネンは表彰台で涙した。
1999年チャンピオンを争ったのはハッキネンとアーバイン。怪我から復帰したばかりのシューマッハをかわしたハッキネンが2年連続のチャンピオンを決定した。
シューマッハがフェラーリのドライバーとして21年ぶりのチャンピオンに輝いたのが2000年。以後鈴鹿でレース後の大騒ぎは伝統にもなっていくことになる。
2001年はシューマッハがポールトゥウインを決め、2002年にもシューマッハのポールトゥウインは繰り返される。しかし2002年にもっとも注目されたのはこの年ジョーダンからデビューした佐藤琢磨。5位に入賞するとともに、今後の成長に大きな期待を抱かせてくれた。
バリチェロが鈴鹿で初勝利をあげたのが2003年。この年テストドライバーだった佐藤琢磨はビルヌーブの離脱を受けて急遽参戦をはたし、期待に違わぬ6位入賞を記録した。
台風の直撃を受けた2004年。F1史上初となる予選、決勝同日開催で行われたレースはシューマッハの完勝。佐藤琢磨は「悔しい」4位入賞を果たした。
2005年は長いF1の歴史の中でベストレースの一つと言われた名レース。予選17位からスタートしたキミ・ライコネンが最終ラップで大逆転での優勝を飾った。
レースの結果以外にも思い出はいっぱい。
個人的には最も思い出深いのは1994年。なんと指定席券を忘れてしまって、雨の中人混みの中で必死でアストロビジョンを見ていたのが思い出します。
残念ながら歴史にひとまず区切りをつける鈴鹿サーキットでのF1日本GP。今年はどんなレースを見せてくれるでしょうか。
鈴鹿での日本GPの歴史をまとめたDVD,本編が60分と短いのが残念(1レースあたり3分?)ですが、楽しみです。
F1日本グランプリ1987-2005 ~思い出は鈴鹿とともに~![](https://ba.afl.rakuten.co.jp/b/000dc73a.03ad82fa/)
そういえば、別館「All for WIN !」に日本のF1レースの記録をまとめていますが、このところまったく更新できていません。
こっちもがんばらなくちゃ(笑)
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