こどもの詩:たいせつな鳥笛
こどもの詩・二題 (鳥笛:森のなかの枝をくりぬいて作った笛。澄んだ鳥の鳴く音がでる。これはサクラの枝からつくったもの。) たいせつな鳥笛 まゆ たいせつな鳥笛 鳥のなき声のする鳥笛 たいせつな木の命をもらって作った鳥笛 木の命をもらい 人の手で作られた鳥笛 その鳥笛が売られてる その鳥笛をわたしはおじいちゃんに買ってもらった。 お母さんに「買って」とたのむ。 お母さん、「妹とふたりで使って」 でも、どうしても妹とわたし、ひとつづつ欲しかった。 するとおじいちゃん ひとつづつ買っていい、 ひとつづつ買っていいよと言ってくれた。 おじいちゃんにお手紙書こう おばあちゃんにもお手紙書こう 感謝の気持ち伝わるようにお手紙書こう どう書いたらつたわるか どう書いたらわかってもらえるか たいせつな鳥笛さん そして、おじいちゃん ありがと まゆちゃんが鳥笛に出あったときの驚きやうれしい気持ちがそのまま言葉になってほとばしっている。その思いが「たいせつな鳥笛」という言葉のなかにこめられた。そしておじいちゃんへの「ありがとう」の気持ちへと自然に繋がっていく。 言葉の豊かさが「こどもの心」を育てる。この詩は、その良き実例である。 秋の王さま まゆ あきの王様 あかいいろ してる あかいろしている王様いるか 呼んでみよ あかいろの王様 どこにいる 返事こない はっぱがしゅるしゅるり さらさらさ もみじの王様さらさら わたしをよんだの だあれ あら あかいろしている王様 もみじさんだったの あきの王様 みどりいろ している みどりいろの王様いるか よんでみよう みどりいろの王様 どこにいる 返事 くるか はっぱしゅるしゅる さらさらさら くるりんさら あおあおしているもみじの王様 こんにちは わたしをおよび あらこんにちはみどりのもみじさん あおあおしているもみじさんだったの あきの王様 オレンジいろ している オレンジいろしている王様いるか よんでみよ オレンジいろの王様 どこにいる 返事おそい はっぱがしゅるしゅるる さらんさらんさらん くるりんくる オレンジしているさくらの王様 こんにちは わたしをおよび オレンジいろしている王様 さくらさんだったの あきの王様 きいろ している きいろしている王様いるか よんでみよ きいろの王様 どこにいる 返事 くるのか はっぱがさらさらり くるりんぱ わたし よんだ きいろをしている王様 いちょうさんだったの あきの王様 みんなそろった そろったおいわい おいわいだ はっぱ ぱらぱらぱらら わい わい わい わい ざわ ざわざわ みんな たのしそう わたしもなかまに わい わい ざわざざわ ぱらぱらら まゆちゃんは、この私と同じ美しく紅葉する、まだまだ自然林が残る住宅地にすんでいる。この詩・2編は、この地方の紅葉の名所、香嵐渓に紅葉を見に行ったときのものである。その移り行く秋のすがたをこのように心から溢れるにまかせて言葉にしている。冨士子婆やダンホセが紅葉を切り取って表現したのとは、ある意味で全く反対の面から「秋の紅葉」を感じ取っている。初々しい息ぶきがそこにはある。 まゆちゃんは小学校4年生の女の子。私のところに勉強を習いに来ている子。大人の視点から添削して、もっと整った詩にすることもできるが、ほぼ原文のまま載せた。 意識的にひらがなで書いたり(もっと4年生のまゆちゃんは漢字が書ける)、段を変えたりしているわけでないのに、まゆちゃんのこころのリズムが素直に言葉となって溢れてくる。リズミカルな言葉のつながりとなっている。これがこどもの素晴らしさ。子どもは生まれながらの詩人なのである。 世のお母さんたちにお願いしたい。 あれこれいじりまわさないで、書くものが溢れた時、そのまま言葉にする習慣をこどもたちにつけさせてほしいと。そうすると文を書くことに抵抗を感じない、文が書ける子どもに育っていく。(習った漢字は使いなさいとか、この文章には句点がないとかなどなど、大人の勉強という視点で口うるさく注意しないでくださいね。文を書く能力を身につけることは、大変なエネルギーや粘り強い反復がいる。言葉があふれでる日常の生活体験の豊かさが一番肝心、必要なことであると思いますよ)