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そういちの平庵∞ceeport∞

そういちの平庵∞ceeport∞

高校時代・・・惇一

庭野惇一
僕の中学の同級生
彼の勧めで
剣道部に入り
学習塾に入り
彼は随分大人だった
彼は地元の公立高校に入り
僕は港区の私学に進んだ
高校時代僕の部屋で色々話した
キャラは正反対だ
彼はスクエアーで
僕は・・・何だろう?・・・わからないや
従妹が白血病になったとき
彼等が随分助けになった
日野自動車に勤めながら大学の通信教育を受けてた加藤君
「そういちの頼みなら断れない」と言ってくれ
仕事を休み2時間もかかる成田日赤に行ってくれた
その他多くの人が助けてくれた
供血のために・・・彼の血を貰うこともなく従妹は死んだ
その3年後に親友の淳一も同じ病に倒れた
法政大学2年のときだ
両親の悲嘆にくれる顔
僕は通夜も葬儀も出てない
最愛の彼女と別れ
彼女の助言通り
姉の事にかかりっきりになった
そんな最中今どうしてるかな?と思い
彼の家に電話してみた
「惇一君いる?」
お母さんが出て
「惇一は去年死にました」
「もう少しで一周忌になります出席してください」
僕はブルーのジャケットを着て出た
みな喪服だった
喪服なんて着たくないね
今でも・・・
法要後彼の両親と話す
「部屋をそのままにしてます・・・見て行きませんか?」
「見れません」
「何か食べませんか」
法要で飲み食いしたばかりだ
「頂きます」
無理やり彼のお母さんの作った飯を食い
家を出る
その晩は旧友と逢い
惇一の彼女とも話す
慰めの言葉も無く
「僕がもし結婚する事があって
もし子供でも出来たら
きっと「ジュン」って名前を付けると思うよ
君もそうしようよ」
などと気障なセリフをほざいた
思えばこれが決定打だった
このアトきっちり5年はアルコールの地獄巡りが続いた
僕の誕生日は3/7
彼の命日は3/9

本当は明日が命日だが今日休みだから供養する
ビートルズナンバー弾き語り供養だ
中学時代の同級生んが大学生で死んだのだ
奴の好きだったビートルズナンバーを供養の為歌う
中学の同級生庭野淳一は僕を剣道部や学習塾に誘い
あれやこれやと中学時代つるんでた
奴は中学生のころより、なにやら老成した風格があった
ともに読者や音楽が好きで
しかしながら僕は野生児あやつは優等生であった
やつは夏目漱石が好きで芥川龍之介が昔学んだ両国高校に入り
受験体制どっぷりの校風に嫌気がさしておった
ジョンボーナムが死んだと塾で僕に伝えたのも奴だった
僕は自由を求め
奴は安定を求め
奴は父親と同じ公務員を目指しておった
何回ものそのことでケンカした
「何でそんな15やそこらで人生決めるの?」と・・・
音楽や読書しながら役所勤めをして暮らすんだといつもいってた
そんな安定志向の奴が役所にも勤めず早死にして
僕は僕で凄まじい人生を驀進中だ
ま、ともにままならないことだらけで奴は先に死に
僕は僕であの頃とそう変らぬスタンスを貫いている
キャラが正反対だったよなあと思う
権力、安定、糞食らえ勝手気ままな自由人
安定第一、趣味は趣味、収入得るのは役所が一番
好対照の二人であったが妙にウマがあった
高校時代僕が住んでた四畳半の部屋によくきてた
朝まで色々話したり
他にも仲の良い奴は沢山いたが早死にしたのは奴だけだ
供養 投稿者:そういち 投稿日:03/08(月) 20:28 PC

高校の頃、人の陰口ばかり叩いてる奴がいた
ヒソヒソ陰口たたいてるのは多かったが
そいつは誰にでもあいつがどうのこうのといつも言ってた
そのうちそいつが嫌われあまされだした
僕の部屋で話がしたいというので話す
要するにどいつもこいつも陰じゃ悪口いってるくせに
結局立ち回ることや自己保身に長じてクダラネエ・・・・みたいな事を鳴きながら奴は言った
似たような事は僕も高校で感じたが・・・僕は地元の友達の方が好きだった・・・高校はまあしょうがないから行ってたし高校の偏差値教育に染まりたくないので距離を置いてた
実際、僕等は偏差値で輪切りにされ文系理系にわかれ
教師の言い分だけ聞いてると他に選択肢などないかのようにも感じた
毎日殺人ラッシュの地下鉄に乗りつまらない授業を受けるのは社会人になるための予行演習か何かのようだった
もっと色々何かあるかもと思って僕は色々なバイトをした
社会は間違いなく学校ほど甘くはなかったけどね
僕がそんな愚痴聞き役や相談を受けると高校の親友は僕にこう言った
親友「俺はお前みたいに優しさじゃ売らないよ」
僕「別に優しさで売ってるわけじゃ・・・」
親友「売ってるよ、それにお前はいつも考えすぎだ」
通学途中の地下鉄の中の会話だ
上記の陰口云々で親友と話をしてたらこう言われた
こいつともう一人の奴と僕が席が並んでて
授業中いつも3人で喋り捲り馬鹿を言っては騒いでいた
数学の幾何の授業中度重なる注意を無視し我々は馬鹿話をしていた
すると先生が「これだけ言ってもわからないなら次のテストは何点とっても零点だからな・・・お前達」
僕はこの言葉を間に受けたのと偏差値やテストで人を数値化する事に馬鹿馬鹿しさを感じてたのでテストを白紙でわざと出した
すると先生は「田中はあのときの言葉を間に受けて白紙で出したのか?」「そうです」
他の2名は何点か点数を取ってたのにそれも零点になる
「田中のバカヤロー信じられられねえこいつ何考えてんだテメエ殺す」と叫ぶ2名・・・僕は内心ザマ―ミヤガレと思った
この零点は卒業するまで尾をひいた・・・追試を何回も受ける破目になった・・・このような男が高校を卒業できたのは奇跡かも知れない
地理の先生がほっぺたが赤く桃太郎に似てた
地理のテストでこの島はなんという島ですか?「鬼が島」
何々大陸の発見者は誰ですか「桃太郎」などと書いてたらとかこれも零点を食らった
「田中テメエ何考えてんだあ!!」と怒鳴る教師
こう書いて行くと僕はやっぱり馬鹿だよなあ
僕は教師受けがよく仲は良かったけど・・・下らん所で突っ張るのだ
何せ真面目にやってりゃ内申書だけでそこそこの大学に推薦で行けるのだ・・・大人しくしてれば
柔道の授業もボイコットした体育会系の国士舘出の教師がむかつくのだ・・彼は元柔道国体選手だ
腕力や権力で生徒を縛り付ける彼の教育方針が嫌だったのだ
周りは心配して色々言う
「あんまり逆らわない方が良いよ」「嫌な事でもやらなきゃ」「みんなやってんだし」
だけどこれも結局最後までサボタージュした
僕は何にむかついてたのだろうか?
そんなに嫌なら高校なんて辞めちまえば言いのに
実際高校中退者は自分の高校でも地元でも沢山いた
そんな奴等が僕の部屋に来たり話したり
辞めるってのも逃げかな?みたいな感じがした
辞めて働いてる奴の話を聞くと辞めただけじゃ駄目なんだと思った・・・辞めた奴ほど卒業だけはしろと僕に言った
音楽が地元でも高校でも他者との最大の接点で
ビートルズやストーンズやZEPPを色々な奴と演奏した
高校の学園祭じゃ一緒に出演予定の奴が校内喫煙で停学処分
僕は酒飲みながら学園祭でギターを弾いた
「青春なんて幻想だよな・・・などと嘯きつつ・・・ロックンロールを奏でた」
地元の奴等は中卒や高校中退も多く
働いたり、暴れたり、鑑別所に行く奴もいた
大学付属高校に通う奴や・・・まあ色々だ
お優という名の女子高に通う中学で同期のやつがいて
たまにお優に僕がグチャグチャ言うと
「私はね毎日毎日階段を上り下りして地下鉄JR地下鉄と乗り継いで高校に通う・・・友達と笑いながら・・・階段人生だねって」
「お優の言いたい事はわかる、真面目さも大事さ、僕だってタダ不真面目って訳じゃない、でも他の生き方もあるはずだよ」
「そう、私は私だし田中君は田中君だもんね、私は自分に正直に生きてる田中君が好きだよ!!田中君にあった生き方を見つけたら良いよ頑張ってね!!」
で、見つかったのか?(´ヘ`;) う~ん・・・基本的に変わってねえかなあと思う
高校の時、周りの教師に心配され色々言われた
「ここはいつか出て行くんだ」
「お前はお前の力で生きていくんだ」
「幾らここが気に食わなくてもたった3年だ」
そうなのだそんことはわかってるのだ
だから僕はよくこう切り替えした
僕「じゃああんたは今の自分の人生や世の中に納得してるのか?満足してるのか?」
教師「俺もお前くらいの年じゃ似たような事感じた、だけどまあ、世の中も人生もこんなもんだと思ってるよ、お前にもいつかわかる時がくるよ」
僕「それはあきらめじゃねえのか?」
教師「そうかもしれん、だが純粋な理想だけじゃ生きられないんだ」
僕に教師の言うわかる時が来たのか(´ヘ`;) う~ん
親は親で独り暮らしやめて実家に帰れとか色々心配かけた
だけど一人暮しは親が最初に勧めたのだ
担任教師も僕の行く末を心配し小言を言った
「遅刻欠席常習犯の田中よお前は天に向かってツバ吐いてる今吐いてるツバは自分に返ってくるぞ」
ツバは自分に返ってきたのか(´ヘ`;) う~ん
馬鹿は死ななきゃなおらないのだろうか?
ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

地元の連中で中学を出て就職した奴は暴走族に入る奴が多かった
当時の東京下町の中学はあれてて全国紙の一面に校内暴力のネタが出る時代だった
そんな柄の悪い地元だった
高校時代やつらは鉄パイプ持って暴れちゃ警察に捕まり
暴走、SEX、シンナー、闘争、そんな日々を送っていた
僕はそんなのはクダラネエとしか思わなかったが・・・当時の僕には彼等が幼稚に映った
真夜中にそんな奴等がバイクをグワングワン唸らせたまに来るのだ
真夜中に人の部屋に来るときはエンジン止めてから来いや
近所迷惑だといつも言うのだが・・物騒な連中が来るので僕は近所から白い目で見られた
警察から逃げてるのだからエンジン止めるも何もあったもんじゃないが
「刑事に負われてる助けてくれ」
話を聞くと女性を監禁して暴行を加え相当酷い事をやっているのだ・・・・
何でそんなことしてるの?と小学校から知ってる1つ上の先輩に聞くと
自分でもわからねえや何だか「ムシャクシャ」してな・・・・この人はその後ホンマモンになり右翼や組やそんな世界で生きている
彼の言う「ムシャクシャ」は僕も感じてた
こんな風に荒れてた奴等も大抵は真面目に生きるようになった
家業を継いだり、所帯を持ったり、勤め人になったりだ
父親が脳腫瘍で倒れ一家離散僕と同じように独り暮らすオギって人もよく来た
彼の話はいつも同じで暗かった
貧乏で親が東北の病院に居て学校でいつも馬鹿にされると嘆いていた
父親が妾を囲い夫婦喧嘩が絶えず家出ばかりする佐山
奴は卓球一筋とか言って名門高に行くがすぐに辞め
女とシンナーで当時生きていた
高校も行かず親戚のガソリンスタンドで働き
中学生の女の子と結婚したいとこれまた真夜中に僕の部屋にアベックで来る
でどうしたの?「父親に土下座して結婚させてと頼んだら頭を踏みにじられフザケンナと怒鳴られた」
うーんまあ当たり前だよな・・・
彼女に「こいつの事好き?」と聞くと「ウン」
なにやらゴチャゴチャ話し行く所もないから泊めてくれと4畳半一間の僕の部屋で朝まで3人で過ごしたり・・・話してる途中で誰か来たり
色んな奴が色んな奴を連れてくるので僕は実家に避難したりした
夜も寝れない時があったから・・・夏休みなどは特に
一番多い時に20人以上が部屋にたむろしてた・・・4畳半にだ
佐山は弟がシンナーで15位で死に
その後立ち直り運送会社の社長になった
もう片方でまともに高校に通い
色々な進路を目指す奴等がいた
そいつらとは主に音楽や文学での話が多かった
まあ、皆悩んでたし人それぞれ懸命だった
白血病で死んだ名門両国高校に通う淳一もその一人だった
彼は漱石が好きで僕は当時開高健が好きだった
ビートルズにZEPPにビリージョエル辺りの話でいつも長話をしてた
そこそこの高校に通う奴は皆とりあえず大学に行くくらいしか将来の展望もなかった
葬儀屋の息子の亮や蕎麦屋の名店の御曹司ムーチャン
色んな奴と色んな話をしててそんなこんなの日々だったのだ

当時の日記が1冊手元にあって熟読してると色々思い出す
読んでると当時と今と何処が違うの?みたいに思うのだ
関心事も変わらないし当時の方が遥かに多くの人と関わり情熱があったかな?
当時から国家や戦争に関心があり本を濫読してた
ジョージオーウェルにイカレたのもこの頃
山本周五郎や庄司薫なんかも好きだったみたいだ
この時代の雑多なエネルギーは未だに僕に影響を与え続ける
僕がこの頃ほぼ人格が完成してた事を知る・・・未熟ながら
だから滅茶苦茶な事がこの後起こり続けても壊れずにすんだみたいだ
東京のあの部屋ものほほん工房も僕にとってはそう変わらんのだ
当時のノートやテープが実家にあるかも知れないので暇なとき実家に探索に行きたい

当時のエピソードでおもろいことは山ほどあった
体育の柔道が嫌だったくせに肉体労働のバイトでどれだけしごかれようが平気だった
自分で決めたやりたい事なら大変でも苦にならいのだ
どんな職場も学校ほど窮屈じゃなかった
僕を一人前の男として扱った
そこで僕は偏差値や学歴などで図れない人間の凄さを学んだ
そんな人達の方が不器用で計算もせず損ばかりしてたけど
洋食屋でバイトしてた時の店長は中卒の叩きあげで苦労人だ
人仕事終わった後、カキフライを揚げてくれビールを飲みながら話した
「高校行けるだけでも羨ましいよ親に感謝しなよ」・・・店長の身の上話が始まる
住込みで働きコツコツ金を貯め腕を磨き店を持つまでの・・・
店長は障害者の人達に関わりささやかな手助けをしていた
「俺みたいな人間でも少しは世の中の役にたちたいからな」と言いながら
障害者と言う事で世をスネ覚せい剤の運び屋をしてた人がいた
彼が同じ障害を抱える女性と結婚をする
そのささやかな披露宴は僕のバイト先の店の2階の座敷だった
「障害者だからって犯罪して言い訳が無い、彼がやったことは犯罪だ
だけど俺等だって生きてくのは大変だし生きてくのは大変だ
だから皆で助け合って行きたい」・・・みたいなスピーチを店長は涙ぐみながらしていたのだ
刑務所を出入りしていた障害者の人は涙ぐんでた
彼の過去に何があったか僕は知らないが
そこには何だか暖かい強固な人と人が支え合う姿があった
学校では学べない何かがあったのだ

2004年10月12日 


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