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そういちの平庵∞ceeport∞

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愛という名の希望

「愛するということ」エーリッヒ・フロムの書いたこの本を最初に知ったのはクリティアーネ・Fという薬物依存症の女性の本で・・・・僕が高校生の頃だこの本は確か映画化もされた・・・多分観たと思う

誰もが愛に飢えている。(中略)ところが、愛について学ばなければならないことがあるのだと考えている人はほとんどいない。

なるほど、「誰もが幸せになりたいと思っている。ところが、幸せについて学ばなければならないことがあるのだと考えている人はほとんどいない」とそのまま置き換えるとわかりやすいかな?

「愛には学ぶべきことはない」と考えてしまう理由として、フロムは3つを挙げてる

まず第一に、たいていの人は愛の問題を、「愛する」という問題、愛する能力の問題としてではなく、「愛される」という問題として捉えている。つまり、人びとにとって重要なのは、どうすれば愛されるか、どうすれば愛される人間になれるか、ということなのだ。
「(私を)愛してくれる人がいない」と嘆く人もいます。そういう人は「愛される」ことが問題なのです。

こういう人ほど自分を愛せないのだが・・・・自己愛の問題はとてつもなく大きい
そういう人程自分を知らず「人から自分がどう見られるか?」でしか生きられない
まず正確な自分を知りその自分を受け入れる事が始まりだ
なのに自分を大きく見せたりより以上に見せようとして不安な状態にいる人は驚くほど多い

健全に自己を愛せれば人は一人でも幸せだ
もっと幸せになりたければ愛の対象を広げることだし対象は様々だろう

愛には学ぶべきことなど何一つない、という考え方の底にある第二の原則は、愛の問題とはすなわち対象の問題であって能力の問題ではない、という思いこみである。愛することは簡単だが、愛するにふさわしい相手、あるいは愛されるにふさわしい相手を見つけることはむずかしい──人びとはそんなふうに考えている。
これも身近な家族、職場の人、隣近所・・・・誰でも対象になりうる

愛について学ぶべきことは何もない、という思いこみを生む第三の誤りは、恋に「落ちる」という最初の体験と、愛している、あるいはもっとうまく表現すれば、愛の中に「とどまっている」という持続的な状態とを、混同していることである。

「恋」と「愛」の違いについては、いろんな人がいろんな所でいろんなことを言ったり書いたりしてる
「愛」は「人を幸せにすること」だと考えること
「愛」は自らする(行為を伴う)もので「恋」は無意識にしてしまうものでは・・・(「恋愛をしたい」と、出会いを求めるのは意識的な行為ですが)

恋せる人は限られているけど、愛せる人はもっと広げることができる

子育ての問題が難しいのはここいら辺にあるのだろうし
幸せな夫婦が少ない理由も一緒だ
成長をベースに置かない関係性はいつか壊れる
家族の崩壊、核家族の崩壊、地域社会の崩壊は皆の知る通り


恋はいつかさめるけど愛は育てることができ、長く続けられる
もちろん、恋から始まり、愛に変わることも多い
自ら幸せになるためには、「愛する」ほうがいい

「愛は技術である」。では、その技術を習得するためには、

技術を習得する過程は、便宜的に二つの部分に分けることができる。一つは理論に精通すること、いま一つはその習練に励むことである。
しかし、理論学習と習練のほかに、どんな技術をマスターする際にも必要な第三の要素がある。それは、その技術を習得することが自分にとって究極の関心事にならなければならない、ということである。

愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではく、「みずから踏みこむ」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。

愛の基本的な要素として、フロムは「配慮」「責任」「尊敬」「知」の4つを挙げています。

「配慮」は「思いやり」と解釈したい
『「責任がある」ということは、他人の要求に応じられる、応じる用意がある、という意味である』と書かれているので、「責任」は「相手のため」と考える
『尊敬とは、人間のありのままの姿をみて、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである』とあるので、「尊敬」は「尊重」に置き換えたいと思う
「知」は「相手を知る」こと

一人でいられるようになることは、愛することができるようになるための一つの必須条件である。もし、自分の足で立てないという理由で、誰か他人にしがみつくとしたら、その相手は命の恩人にはなりうるかもしれないが、二人の関係は愛の関係ではない。逆説的ではあるが、一人でいられる能力こそ、愛する能力の前提条件なのだ。

こんなことを少しずつ学校で勉強したら?と僕は思うのだ
勿論、親も一緒にね・・・
愛するということを僕は学ばざるを得なかった・・・生きる上で
成長や自立が如何に大切かを・・・それが人としての幸せだと

さらに聡明なフロムはこう言い放つ

現代社会は企業の経営陣と職業的政治家によって運営されており
人々は大衆操作によって操られている
人々の目的は、もっと多く生産し、もっと多く消費することだ
それが生きる目的になってしまっている
中略
いまや人間はロボットである、おいしいものを食べ、洒落た服を着てはいるが
自分のきわめて人間的な特質や機能に関する究極的な関心を持っていない
中略
人間が経済という機械に奉仕するのでなく、経済機が人間に奉仕しなければんらない
たんに利益を分配するのでなく、経験や仕事も分配できるようにならなければならない
人を愛するという社会的本性と社会的生活とが、分離するのでなく一体化するようなそんな社会を作り上げなければならない
中略
愛について語る事は説教ではない
その理由は簡単だ
愛について語る事は人間の究極の欲求に関して語る事なのだ

僕もそう思うし
死ぬまでそんな事を考えろのかも知れない
見果てぬ夢かもしれないが・・・

1人で見る夢はただの夢
2人で見る夢は現実

オノヨーコの言葉だ

どうせ見るなら良い夢みたいな
みんなで・・・・


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