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そういちの平庵∞ceeport∞

そういちの平庵∞ceeport∞

イエスキリスト

イギリスの詩人であり画家でもあったウィリアム・ブレイクの詩

「無心のまえぶれ」の中の一節なのですが

To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower,
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour.

色々な訳があるけどこんな感じかな

一粒の砂の中に世界をみる
一本の野の花の中に天国をみる
つかみなさい 君の手のひらに無限を
ひとときの中に永遠を・・・


こんなのもあります。


悲しみ極まりては笑う。喜び極まりては泣く。

喜びのはては笑わず、悲しみの極みは泣かず。


   「ブレイク詩集」地獄の格言より 平凡社 土居光知訳

「ロンドン」

特権をひけらかす テムズ川の流れに沿い
特権をひけらかす 街街を歩きまわり
ゆききの人の顔に わたしが見つけるものは
虚弱のしるし 苦悩のしるし

ありとある人の ありとある叫びに
ありとある幼な児の 恐怖の叫びに
ありとある声に ありとある呪いに
心を縛る 枷(かせ)のひびきを わたしは聞く

煙突掃除の少年の叫びが なんと
黒ずみわたるありとある教会を すさまじくし
ふしあわせな兵士のためいきは
血汐となって 王宮の壁をつたう

だが 最もしばしば 深夜の町にわたしが聞くのは
生まれたばかりの乳のみ児の涙をからし
結婚の柩車を疫病で台無しにする
年若い娼婦の呪い声

などとブレイクの詩などを鑑賞すれば。

新約聖書マタイによる福音書11章において


「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、 わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、 わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

と語るイエスキリストと我々の隔たりをいつも想起します。

ローマ帝国によって殺されたイエスキリスト。

その後、祖国も滅ぼされ、これがなければキリスト教の伝播も興隆もなかったかも知れません。

原始キリスト教団の中では、人々はお互いを兄弟・姉妹と呼び合い、食物や 衣服を分け合って、祈りの中で暮らしていたそうです。

イエスの十字架と復活の伝承を追慕し、集会の場で、追体験された。終末の到来を信じてはいたが、たんにそれを待つだけでなく、相互の間で「神の王国」を実体化させていた。

無所有による原始共産制。これは現イスラエル国内の「キブツ」などの実験的な共同体にも相通ずるかも知れません。


「神の国は、あそこに在る、ここにあるということではない。見よ、あなた方の只中にある。」と語るイエスの言葉の実践。

これがイエスキリストの十字架の真因かもしれません。

当時の十字架刑はローマ帝国に対する政治的な犯罪に適応されたなどと伝え聞きます。

イエスは死に。ユダヤ王国は滅び。

その後、ユダヤ教より生まれた小さな新興宗教であるキリスト教は拡大し、多くの世俗的問題が派生すると共に、狭い教団の枠を超えて、ローマ社会の底辺に根を張ります。


おそらく初期キリスト教徒は、現世に望みを何も持てない貧しきものや病むものや抑圧を受けるものや差別を受けるものが多かったと思います。

そんな形で伝播しながら弾圧と虐殺を受ければ受けるほど信徒の数は増え続けローマ社会の骨格に染み込み、ヘレニズム化された文化にヘブライズムキリスト教が融合していきます。

数多くの殉教者を出しながら激しく弾圧されつつ融合していくのですね。

おそらくイスラム教とキリスト教ユダヤ教もそうならざるを得ないと思います・・・・・地球がもてばですが・・・・

このキリスト教的ヘブライズムは、以後、西ヨーロッパの底流に混ざりこみ、その終末論と共に、以後の諸思想に決定的影響を与える事となります。

イエスキリストが与えた決定的な影響以上のものは、この世界では、現時点で見当たりません。

新約聖書におけるイエスの言動で僕が一番好きな箇所は以下です。

新約聖書のヨハネ8章になります。

ひとりの女が姦淫の現場で捕らえられました。

ユダヤ教の掟によれば、こういう女性は石で打ち殺されることになっておりました。

しかし寡婦が独りで生計をたてられない時代にこの掟はダブルバインドとして機能していたと思います。

当時のユダヤ教の神殿には娼婦や男娼までいたと伝え聞きます。

どのような宗教も現世の苦しみから発生し興隆し腐敗を逃れられない運命を辿るものです。

現代でもアラブ社会では女性の不倫は死罪だそうです首を切り落とされます。

こういう社会的な状況に対するイエスの態度は以下です。

日ごろイエスに反感を抱いていたユダヤ教の教師たちは、彼女をイエスの前につれて行き、律法に従い、彼女を人びとの面前で残酷な石打ちの刑に処すべきかどうかという難問を提出します。

この問いは、神の律法に従うか?哀れな女性を救済するか?というユダヤ教徒の意地悪なダブルバインド的な質問です。

このときイエスは、何ら動じることなく、ただひとこと答えて言った、「あなたがたの中で罪のない者(男性!)が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と。

この言葉を聞いたとき、教師たちはもちろんその場にいた男たちは、年寄りから始めて若者にいたるまで、ひとりびとりだまって立ち去って行きます。


イエスは、身を起こして言われた。

「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」

女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。

「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」』


これらイエスと我々の間にある隔たりを喝破した詩がブレイクの「ロンドン」であると思います。

雪がドカドカと降る札幌でクリスマスイブの朝にイエスキリストの偉大な愛を思いつつ・・・・・・・

( ̄十 ̄)アーメン・・・




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