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そういちの平庵∞ceeport∞

そういちの平庵∞ceeport∞

ふうちゃん

5年前こんなことを書いていた

ふうちゃんは、僕が若かった頃お嫁さんにしたかった人です。
とても、優しい人でした。
姉が、発病して僕が姉にかかりきりになり
家の中は、パニック、裁きあい、泥沼
そんな、僕を見てふうちゃんは、「お姉さんは、世界に一人
私の事は、いいからお姉さんの傍にいてあげて」と言いました
お互い悲しかったけど・・・・・
姉が良くなって結婚式をする時に僕は、酒の問題で精神病院・・・・
でも、約束は、守りました
姉が結婚して8年、幸せです
僕は、ふうちゃんが忘れられず
思いやりの無い人は、尊敬できない
なんで、私の事信じられないの?
本当に愛されていたと気が付いたのは
別れた後でした
思い出に変わるまでに
もう少し時間が必要ですね
かといって、僕が不幸な訳じゃないし
唯、どうにもならない事って
結構多いというだけで・・・・・
受け入れる落ち着きが必要です
少しは、大人になりました。
ふうちゃんと最初に話した時
何故か、死んだ従姉妹の話をしました。
白血病で13で死にそのことで僕が苦しみ
多くの人が悲しんだ事を・・・・
話してる時、泣きだしてしまい
困ってしまいました。さりげなく話したつもりなのに・・・・
でも、分かり合えました
思えば僕は、母親の愛情に飢えていて
知らず知らずのうちに何でも話すようになっていました。
彼女の欠点も弱さも僕の方も理解していました。
でも、彼女に出会い別れた事が僕の中でものすごく大きな影響を与えていた事に気付いたのは、ずうっと後からでした。
当時、親の事をボロクソに言う僕に対して
「お父さんとお母さんは、そんな人やない、悪いところはあっても良い所もあるんや!
思いやりの無い人は、尊敬出来へんでえ!」
と言われました。
両親の良い所に気付いたのは、この2、3年です。
別れる時も駆け落ちでもしようかとお互い思いつつ、
自殺未遂や幻覚に苦しむ姉を見ながら悩み
両親のいさかいの仲裁
心が乾いてきました。
そんな時「今のあんたは、お姉さんの事だけで目一杯や!あんたは、なんでも、誰の事でも心配して重荷になるから、でも別れる気は、ないんよ!」と言われ
あさはかな僕は、一方的に彼女の家と職場に電話して「駆け落ちしようと思っているから引き止めて下さい。」と告げ
共通の友人からこきおろされ、ふうちゃんからは、泣きながら「なんで、あんたは私の事信じられんの?」と言われ
家族は、ますますグチャグチャとなり・・・・
自分の事を全く許せなくなってしまいました。
自分を苦しめる事だけの時期がしばらくあり、
自閉、自虐、酒、すっかり病気の世界です。
今、もう一度人生をやり直しています。
自分に対する思いやりと人に対する思いやりを大切にしながら・・・・
そして、今、ふうちゃんと出会えた事
本当に感謝しています。

今こんな風に思う
彼女は在日でファッションモデルだった
当時三越のCMに出ていた
ちなみに三越は祖父が勤めてた会社だったりする
身体も弱く内臓に問題もあった
僕と在日の人との関わりを考えたりもした因果があるのだろう
僕は神様の存在を心底信じるようになった
全ては神様の計画なのだと
本当に色々あったけど
僕は生きる上で本当に大切な事を学べた事と思う
自分が望み信じる道を歩こうと思う
ふうちゃんとは別れる時もうひとつ約束した
「あんたは凄いミュージシャンだと思うだから音楽は一生続けてな」
こちらも目下修行中である


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