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カテゴリ:何かヘンだぞ
ツイッターって、議論に向かないツールだな、といつも思う。
こう言うと、もしかすると「えっ?」と思う方がいるかもしれない。 なぜなら、現にツイッター上で議論している光景は日常茶飯事だからだ。 私が考える「議論」というものは、互いが違った見解をぶつけ合いながら、 より良い結果を導き出すための手段である。 だから決して「ケンカ」ではない。 しかし今ツイッター上で繰り広げられている「議論」は、ほぼ「ケンカ」だ。 まず、「妥協」というものが無い。 リアルな議論では、必ずしも言いっ放しだけでは無く、 相手の言い分に耳を傾け、部分的に納得するところがあることを認める。 しかしツイッター上の議論では、一切の「妥協」が無い。 妥協することは、負けを認めるに等しい、とでも思っているかのように感じる。 そもそもが例えば「右翼」と「左翼」の争いみたいなものだったりするので、 余計に互いが相容れない状況になっているのだろう。 私が「ツイッターが議論に向かない」と言う所以は、そんなところにある。 しかしこれは決してツイッターだけに収まる問題ではない。 リアルの世界であっても「議論」が「議論」になってなかったりする。 「朝まで生テレビ」のような討論番組を観てると、特にそう思う。 目的は、自分と異なった意見を持つ者を論破すること、その一点にあるように見える。 一応、田原総一郎という行司役は居るが、ほぼ「ノーガードの打ち合い」状態だ。 いち視聴者として観ていると、言い合いのスリリングさは感じるが、 そこから何かを生み出していこうという、建設的な姿勢が感じられないのだ。 ツイッターが出現してからこうなったのか、元々そういうものだったのか、 今となってはどちらかよく分からないが、議論というものの本質を考えさせられる今日この頃。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年04月19日 22時38分18秒
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