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カテゴリ:本
『免疫の意味論』で、私も知ることとなった世界的な免疫学者の多田富雄さんの『寡黙なる巨人』を読みました。 引越ししてから一ヶ月が過ぎましたが、ようやく新しい本をとって読もう、という気になったのですが、これがとても深く考えさせられる良書でした。そして、とても読みやすい! 多田富雄さんは、90年代に『免疫の意味論』を現した大先生なのですが、その書において「免疫」ということを論じる中で、自他の区別が体ということから考えても自明ではないことを述べていました。そして、それが人間関係ということにおいても、とてもリアルに連想させられるということで、様々な分野において大変注目を浴びていました。 大活躍中の彼に大きな転機が起こります。それは、2001年のこと。金沢での出張中に脳梗塞によって右半身麻痺、嚥下障害、言語障害を負うことになってしまったのです。 最初の発作が起きて、彼は医者として的確に状況を把握しようとしますが、さらに発作がおきて、気がつくと三日がたっていたとのこと。一度死んで三日後によみがえった、ということで、死を恐れなくなっていた、と今は述べるものの、最初は、なんとか死ねないものだろうか、と考えたとのこと。しかし、そこから救われたのは、連れ合いの熱心な看病と毎週のようにやってくる友人たちのおかげだという。 さらに、脳梗塞によって失った機能が回復する希望はない、と思いつつ、リハビリを続ける中で、思いがけず動いた右足の親指に感動したという。そして、自身の中に、自分も知らない新しい人が目覚めていることを悟っていく過程が綴られている。 そして、麻痺が起こる前から極めていた能の世界をさらに深められていた。能は、死者によって在りし日を語らせるものであり、倒れる前から、強制連行された韓国人のハンを語らせたり、原爆や沖縄戦のことを描いたりもしている。そして、愛国心についても、国家主義的なものの押し付けには反対し、郷土愛が基本的であり地域に根ざしたものが必要であり、日本の文化を知ることが必要であると主張している(天皇についても政治を離れ、文化として存在すれば良いというのだが...)。 多岐にわたり洞察の深い方であり、これらの文章は、倒れた後に覚えたワープロ(パソコン)によって作成しているとのこと。 興味深いのは、自分の中の新しい人を目覚めさせ、その訓練をすることが必要と説くところ。リハビリは機能回復のためではなく、人間として生きるために必要なことであり、今、彼自身は、倒れる前よりも人間として生きている感覚・実感を取り戻している、とも言われる。 これらの文章において、私自身、一度、死んだ身であるという姿と、そこから新しく生きるということはどういうことか、思い巡らしている。キリスト者にとって、新しく生まれるためのリハビリが信仰生活ということかなって。具体的には、聖書を読むこと、礼拝をすること(祈ること)、行動することなんでしょうが、それは、古い自分が死んだあと、自分の中に新しい人がいることを知り、それを目覚めさせ育てる鍛錬と思えばよいのかも、などと思っているところである。 そうそうこの方、実は、北信でお世話になったY牧師のお知り合いとのこと。Y牧師先生の人脈(気脈)の広さに驚かされる。 それから、そういう意味で、リハビリ医療打切り制度には反対であり大勢の署名を集めた(こちらのサイト参照)のだが、その署名の効果は一時あったのだが、結局、官僚によってリハビリを受けれなくなる人は増えて大変なことになっている、とのこと。”いわゆる後期高齢者”はじめ医療制度の見直しによって、生きなくてもよい、と言われている人が現実に増えているということも考えさせれられた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 2, 2008 05:25:35 PM
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