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テーマ:今日の出来事(288533)
カテゴリ:教会
昨年、東海教区では、「親分はイエス様」で有名な鈴木啓之先生を招いて信徒修養会でお話を伺いました。
ヤクザとなった時点の自分の弱さを振り返られながら、ヤクザとしても博打打として生きてこられた半生が語られました。その間、韓国人女性と結婚して、彼女がクリスチャンとなったのを機にキリストに頼めば博打に勝つという願いも適えられるのでは、という理由から教会に行き洗礼を受けたという話。さらに、ヤクザとして失敗し借金を抱え、殺されるかも知れない中で妻と子どもを置いて東京に逃げていったこと。しかし、逃げる生活に疲れ果て、気が狂いそうになりながら、最後、教会にたどり着いたこと。妻子を大阪に迎えに行き、妻と和解しようとして東京で生活を始め、さらに神学校に行き始めたこと。アーサー・ホーランド師がはじめた十字架行進で全国を巡ったこと、自分の意思とは逆に開拓伝道をする羽目になったことなど、波乱万丈の人生と、そのことを通して神の恵みが豊かに働いたことが語られました。逃げれば逃げるほど、神様に捉えられていった体験、弱さを隠そうとする中に神の力が働くのではなく、弱さを受け止めていくと不思議に神の力が働くという体験は、聞いていて程度の差は大きいものの、クリスチャンならどこかつながることがあるだろうと思いながら、あれほどの体験はありえないという中で、驚きに満ちた講演会でした。 そして、今年は、そのお連れ合いの鈴木真理子姉妹お話を伺うことになりました(鈴木牧師もご一緒に来られました)。鈴木牧師にとっては、昨年、自分が話したことの裏を取られるような冷や汗ものの企画だったかもしれませんが、見事にその証言は、表と裏の角度から真実の姿を浮かび上がらせました。そして、彼女がどんなにヤクザの妻として苦労し、別れたいという思いを持ちながら、相手を赦さなければならないと思って祈っていたことを伺いました。「自分は彼を赦している。だから、彼の心を変えてください」と祈っていた祈りが、あるとき、「私は彼を赦していない。赦せない私を赦してください」と祈り始めた頃、状況が変わり始めたということでした。啓之師が東京で逃亡生活をしていたときだったのですが、彼女の祈りが変わった頃、彼は悪夢を見て、狂気にうなされるようになったのでした。その結果、昨年の講演では教会に駆け込むことになったのです。不思議な祈りの体験ですが、神様に対して、自らを正しいとして祈る祈りではなく、ただ神にすがるしかなく憐れみと赦しを願う祈りのほうが、聞かれる、ということを証していました(それは、開会礼拝で山本将信先生が説教されたことともつながりました)。 非常に大きな苦しみをされながら、最後に報われ、神の恵みに生かされる喜びに達したことは、素晴らしいことでした。啓之師は、「神さんとカミさんに従うのが一番です」と言われ、カミさんの怖さが冗談として言われましたが、それを受けて真理子姉妹は、「誰だって、あんな体験をすれば強くなっていくでしょう。もちろんいい意味での強さです。わたしは兄弟との関係でもこんなに強くなかったはずなのに」と言われていましたが、その強さは、神様が与えてくださったものだ、と確信しました。 それから、彼女は、韓国人として自分自身の日本語が拙いことに引け目を感じられていましたが、確かにそういえるところはあったでしょうが、真剣に語り、伝えたいことがたくさんあるんだ、という迫力と表現が、決して言葉の巧みさによって伝道するのではないということを教えていました。 感動したひと時でした。 鈴木啓之―地獄巡りの果てに、神は見つけられたのか お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Mar 11, 2009 08:46:14 PM
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