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テーマ:城址めぐり(196)
カテゴリ:地元の史跡
吉田城址
春日井市下条町の八幡社で吉田城址を公園整備中複数の大きな石が見つかり、神社に一つ移されたとあったことから訪ねて見ました。 八幡社から北に向かい王子町の交差点で西方向に向かいます。 この周辺で遠景写真を撮ると必ず写り込んでくる製紙会社の赤白の煙突。 ここまで来ると見上げる高さに迫ってきます。春日井のランドマークと云っても過言じゃない。 この工場が稼働を始めたのは昭和27年頃、当時は田畑が多く長閑な景観だっただろう。 名古屋のベットタウンとして宅地化が進み、現在は工場を取り囲む様に住宅が広がっています。 上は1894年(明治24)頃と現在のこの辺り移り変わり。 現在の下条公園が赤のマーカーになります。 明治の頃にして既に地図上に城の痕跡はないようです。 以前訪れた上条城址には石積みなどの遺構を見ることができましたが、吉田城址に遺構らしきものは皆無。 下条公園から北の眺め、この正面に施錠された石碑がありますが、それは公園の竣工碑。 竣工碑、柵で囲って施錠までするんだ。 という事で城址の碑はどこよ。 吉田城址の碑は公園の南側の東角に建てられていました。 囲いもなく、間近で見ることができます。 とはいえ碑だけしかないのですが。 この碑の台座になっている大きな石、根拠はないけれどこれも公園整備で見つかった岩が使われているのかな。 吉田城 室町時代に築城された日本の城(平城)。 但馬国で出生した小坂吉政(1466年(文正元年)~ 1517年(永正14))が但馬から、応仁の乱の頃に京都に入り織田敏定の家臣となり尾張国に入った。 当初奉行所として館を建てた事が城の始まりのようで、やがて土塁や堀を築かれ、当初は柏井城と呼ばれていたらしい。 その後吉政が吉田孫四郎吉政と改名したので吉田城と名乗るようになった。 1554年(天文23)の清洲攻めの際、当時の城主であった小坂正氏が清洲城の南西で討死。 跡継ぎのいない正氏死後、城は放置されていた、織田信長は前野宗吉の母の生家だった、小坂家と城を継がせ、小坂孫九郎尉雄吉と名を改めた。 こうして小坂雄吉は、ここ吉田城と上条城の城主になっていった。 信長亡き後の1584年(天正12)、小牧・長久手の戦いに於いて羽柴秀吉が休戦と引き換えに官職を解き、吉田城や上条城、小牧にある諸城の取り壊しを命じられ廃城になった。 現在はそれを伝えるこの石碑のみがかつてここに城があった事を伝えています。 小坂雄吉のその後についてはよく分からない。 吉田城の絵が欲しいところですが生憎見つけきれません。 「勝川郷土資料館」に古い地籍図などが展示されているようなのでこちらを訪ねると城の痕跡が見られるかも知れません。 吉田城址 築城 / 室町時代 初代城主 / 小坂吉政 遺構 / なし 住所 / 春日井市下条町3-10-4 公共交通機関アクセス / JR中央線「春日井」駅から南西に徒歩30分 下条 八幡社からのアクセス / 八幡社から北へ王子町の交差点を西に 関連記事 / 下条町八幡社 上条城 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.07.30 12:49:14
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