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カテゴリ:地元の史跡
名古屋市緑区大高町中ノ島
あれ、ここのあたりは東海市だと思い込んでいたが名古屋市なんですね。 前回記載した名和町寝覚「神明社」から東に歩いても2~3分程、寝覚めではないのか。 神明社の鳥居から常滑街道を東に進み「大高町砂畑」交差点を右に進みます。 正面の小高い山は火上山、今回の目的地「寝覚の里」はこの通り沿いにあります。 通りからだと木々の生い茂る未造成の区画にしか見えないかもしれない。 左手の解説板が目印か。 寝覚の里入口。 右側に「史蹟 寝覚の里」 寝覚の里 「ここは、日本武命と宮簀媛命が新婚のひと時を過ごした館があったとされる所。 当時海辺であったこの地、毎朝寄せてくる潮騒に寝覚めを得ていた。 そのことから里人はこの地を「寝覚の里」と呼んできた。 初めはここよりやや東の田の中に塚が設けられていたが、伊勢湾台風で散逸。 現在の碑は昭和35年この場所に再建されたもの。」 碑文は識別不能な文字もあるので勝手に要約すると 「大高の里の寝覚の地名は、1800年の昔、倭武天皇が火上の御座所にいたとき、毎日朝になると波の音に目覚めたところから付いた。この地名を末永く伝えるために碑を残す 明治43年10月 熱田神宮宮司」という感じだろうか。 石碑が建つ一画は一段高く盛られ、区画を囲むように樹木が植えられている。 碑はその奥に建つ。 石碑全体像。 碑文拡大。 この石の紋、なかなかのもの。 景行天皇より東征を命じられた日本武尊、伊勢神宮で倭姫命より草薙神剣を授かり、当時尾張国を治めていた乎止与命の館のあった氷上山に立ち寄りそこで宮簀媛命を見初めたという。 日本武尊は東征を果たし、再びこの地に凱旋し、宮簀媛命と妃として迎え、氷上館にとどまり打ち寄せる波の音を聞きながらひとときの平和な日々を過ごしていた。 その場所がこの地「寝覚の里」とされ地名の由来となっている。 当時は波打ち際か迫っていたこの地も、新田開発や干拓により海岸線は遠く離れ、川はコンクリート堰堤により河口も沖へと伸びていき、今では潮騒は聞こえない。 ロマンス漂うこの地も碑が建てられた頃とは様変わりして民家が立ち並び、道路は整備され車の往来の多い土地柄となりロマンスを感じるどころではないかもしれない。 また浦島太郎とは無縁の様だ。 2021/07/19 寝覚の里 所在地 / 名古屋市緑区大高町中ノ島19 名和町寝覚 「神明社」から徒歩ルート / 東に進み大高砂畑交差点を右に数分 関連記事 / 名和町寝覚 「神明社」 、 氷上姉子神社 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.07.19 21:46:19
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