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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
前回掲載した桑名市出口に鎮座する豊受大神社を後に、社地北側を東西に延びる農免道路を西に向けて走る事約5分程、道路左側に平方神明社の杜が見えてきます。
社地西側から眺める平方神明社、所在地は桑名市長島町平方になります。 神社西側に社頭に通じる細い生活道路があり、社頭付近に駐車余地がありました。 目の前の農免道路、あまり聞き慣れないものですが、農林漁業事業者が使用する燃料の揮発油税を減税しない代わりに、事業者の利便性を図るため揮発油税を財源に作られた道路で、日頃走る一般道とは少し性格の違うもの。 上の地図の赤のマーカーが鎮座地になります。 農免通りを西に走れば移動時間は5分もかからない距離になります。 南向きの平方神明社社頭全景。 石の神明鳥居(寄進年未確認)とその先に神社門があり、左右の石壁は門と一体になっています。 鳥居から境内の眺め。 参道右に手水鉢、社標は見逃したのか見当たらなかった。 手水鉢に龍の姿は見られなかった。 注連縄が吊るされた門から境内の狛犬と拝殿を眺める。 拝殿は四方板壁でガラスの格子窓が入った入母屋瓦葺のもの。 手前で白い体の狛犬(寄進年未確認)が守護している。 吽形は前脚の間に球持ちの子供を連れ、阿形は口の中に球を咥えたもので、大きな鼻と大きな垂れ耳、クルクルの巻き髪が個性的。 社殿は手前の拝殿とその後方の覆殿の構成。 境内を見渡すが由緒は公開されていないようです。 三重県神社庁で平方神明社について以下の様に紹介されていました。 「当社の創祀については詳にし難い。 社伝によれば、慶安3年(1650)9月洪水により漂着した御神体を村民が奉祀したのが創始とされている。 さらに当社が神明社として天照大神を勧請したのは文化14年(1817)8月とも伝えられている。 江戸時代を通じ平方の産土神及び神明社として村民の篤い崇敬をうけている。」 江戸時代の平方神明社の鎮座地は、長島藩領の伊勢国桑名郡平方村に鎮座し、これまで参拝した神社同様、木曽・長良・揖斐川の木曽三川が河口付近で複雑に交わるデルタ地帯で、歴史的にも自然と人が鬩ぎ合ってきた場所で、幾度となく水害による凶作に見舞われ、集落や農地を護るため周囲を堤で囲う輪中が築かれてきました。 覆殿。 背丈を優に超える高さまで川石を積み上げ、その上に切妻瓦葺建屋が建てられています。 水害による凶作は、米を税として納める農家には死活問題で、地元の地史によれば、延宝3年(1675)困窮する一帯の百姓は秋の検見舂法(けみつきほう)の免除を求め、代表者一行が江戸幕府評定所に直訴に向かったが、彼らの訴えは実る事はなく、それに加わった者は罰せられ、代表者は処刑されたという。 この地の百姓ために立ち上がり処刑された者たちは義民となり、当地の井桁堤に小さな祠が建てられ祀られ続けてきたが大正に入ってから当社に合祀されたそうです。 主祭神は天照大神ですが、12名の義民と産土神が祀られています。 覆殿正面。 急な石段ですが、左右に手摺もあるので心強い。 内部の様子を窺うも本殿は見ることは出来ず、こちらで参拝させてもらいました。 覆殿後方から社頭方向の眺め。 この石積みの高さは、拝殿の軒先の高さを上回るほどに積まれています。 なんとしてもここは護る、そんな意思が現れている。 社地は程よく風が通る杜に包まれ、境内も雑草が刈り取られ手入れが行き届いていました。 そうしたこともあり境内で蚊に襲われる事はなかった。 覆殿後方の農免道路には、近鉄長島駅から出ている長島ルートのバス停が立っており、その名も「平方神社」だった。 循環バスに乗れば輪中を徘徊するには都合がいいかもしれないが本数が…… 狭い道が多い輪中にあって免税は免れなかったが立派な道が伸びています。 平方神明社 創建 / 慶安3年(1650) 祭神 / 天照大神、義民、産土神 所在地 / 三重県桑名市長島町平方953 参拝日 / 2023/07/21 豊受大神社から農免道路を西へ / 車で5分程 関連記事 / ・豊受大神社 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.08.26 00:00:13
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