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明治の町家   姫路の春霜堂  

明治の町家   姫路の春霜堂  

乃木希典 1849-1912 陸軍大将 8153ht

乃木希典 1849-1912 陸軍大将、学習院院長


        乃木希典


乃木希典は嘉永二年に江戸麻布の長府毛利藩邸内で出生した。幕末の混乱期をくぐり抜け、二〇歳で明治維新を迎え、明治一〇年には西南戦争に参加しここで軍旗を奪われるという失態を引き起こす。彼は奪われた軍旗を振りかざす薩軍を見ながら自暴自棄に陥り自殺を考えたようだが、この時は長州閥であった山県有朋などの同郷の情によって不問に付されている。

そして、明治一八年には陸軍少将に補せられ、翌明治一九年に独逸国留学を命じられる。帰国後、近衛歩、兵第二旅団長、歩兵第五師団長を経て明治二七年には日清戦争に従軍し、旅順の要塞を一日で陥落させる。

その後、陸軍中将、第二師団長、台湾総督、第十一師団長を経て、明治三七年に第三軍司令官、陸軍大将となり日露戦争に参加する。旅順攻略に苦戦しながらもこれを攻略し、敵の将軍ステッセルと水師営で会見。戦後、明治四〇年には軍事参議官兼学習院長を命ぜられ、また同年に従二位・伯爵に叙せられている。明治四五年の明治天皇崩御に伴い、大正元年九月一三日午後八時に妻である静子と共に自宅居間にて自決する。


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春霜堂はかって日露戦争のロシア人士官捕虜が長逗留されていたり、最大40人の軍人さんが寄留されていた関係で当時の乃木大将を偲ぶ掛け軸と、乃木大将の忠良な副官でもあった伊豆凡夫大将の書が残されている。

なお春霜堂にも長くおられた親族でもあった村上氏はは陸軍で中将まで昇られたのは一族の栄誉と思われることでもある。


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