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テーマ:詩&物語の或る風景(1047)
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寺山修司の競馬エッセイを再び読みたくなって、引越しで開けていなかった段ボールの箱を
物色した。 6個ある箱の1個目で見事発見。 やっぱりいいなぁ。 巻頭に「さらば ハイセイコー」と言う詩があった。
この場末というか歌舞伎町というか、そんな情景の中での人間模様がいい。 安っぽい歌謡曲のようでもあるが、読めばやはりこころに響くエレジーがいい。 ‘ふりむくな、ふりむくな、後ろには夢がない’と言ってもふりむいてしまう寺山がいい。 ‘人生という名の競馬場には、次のレースをまちかまえている 百万頭の名もないハイセイコーの群れが’ これを読んだ人々が、自分の‘未勝利の人生’を諦めずに、ささやかな勇気を持てるのがいい。 ハイセイコーを愛した寺山修司がこの世を去った時に、ハイセイコーも 「さらば寺山」と思っただろうか。(←思うわけねぇーだろ 寺山修司が逝った、まさに17年後の2000年5月4日、ハイセイコーが大往生する。 そう、寺山と同じ命日をまるで知っているかのようにだ。 或いは、あの世で孤独な寺山が一流の演出で手招きをしたのかも知れない。 この偶然に、この因縁に、この符合にドラマツルギーを感じてしまう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
いいですね、やっぱりいいですね。
ふりむくな、ふりむくなの下りで やはり読んだことがあるのを思い出しました。 鈍い色で、たくさんの大衆が見えるようです。 小さくて儚い、夢を握りしめている、その群衆の中に、 やはり何かを握りしめて立っている「自分自身」を感じることもできますね。 夢を感じます。 しかし、命日の件。驚きを通り越しました。 (2005.05.06 22:51:58)
ゆはゆはゆはさん
>いいですね、やっぱりいいですね。 ねぇ、いいよね。 でも、こういうのっていいと思える人と全く思えない人がいる。 別にどっちが優れているとかの問題じゃなくね。 >しかし、命日の件。驚きを通り越しました。 いやぁ、私もこうやってブログでも書いてなきゃ気付かないまま死んでいたでしょう。 それが5月4日だったりして・・・(笑) (2005.05.07 00:57:08) |