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カテゴリ:ホメオパシー
今年は日独交流150周年、六本木・東京ミッドタウンにあるサントリー美術館では「マイセン磁器の300年展」が3月6日まで開催中。見に行って参りました。'西洋の柿右衛門'とも呼ばれる'マイセン磁器'、とても素敵でした マイセン磁器ファンには恐縮ですが、今回は自然療法の立場からみていきたいと思います。マイセン陶磁器の生みの親はザクセン侯国のアウグスト大王なのですが、磁器の生みの親は錬金術師のヨハン・フリードリッヒ・ベットガー。彼は飲んだくれでしたが、そこそこ名のある錬金術師で、不老長寿酒や媚薬の調合をしていました。ベットガーは、少年時代から錬金術を学び、「幻の黄金を作る」ことに奔走していました。この「黄金を作る試み」というのは、ずっと昔から多くの錬金術師が模索しては叶わない夢でした。当時、東洋(特に中国)から輸入される皿は、屈強の兵士と交換される時代でしたから、ベットガーはアウグストに建白書を送り、「‘黄金’ではなく、それに代わる‘白い磁器'を造る」と公言、歴史の幕開けです。彼は研究に研究を重ねて磁器を作り始め、窯からでてくる磁片7種のうち3種が、白く透明感に溢れていました。1709年、ヨーロッパ初の白磁焼成に成功しました。錬金術師ベットガーの才能がマイセン陶磁器を誕生させました(残念ながら、彼は大のアルコール好きで短命だったようです)。白い磁器の主原料は、私たちがアロマ・クラフトでも活用するカオリンです。カオリンはマイセン郊外の鉱床で今でも採られています。カオリンは美白用パックにも白磁器にも大活躍 マイセン陶磁器の火付け役、アウグスト大王&錬金術師ベットガーの物語から始まりましたが、マイセン陶磁器の誕生には、もう一人、忘れてはいけない人物(絵付師)がおります。陶画家ヨハン・グレゴール・ヘロルトです。大航海貿易時代であった当時のヨーロッパでは、シナ風の発想に源を求めた芸術の傾向がありました。これがシノワズリという様式を創り、ロココ文化にも影響を与えていきました。東洋では馴染みの菊や牡丹などを主題でつくられた「インドの花」シリーズは、今でもつくられているマイセン窯のロングセラーで、柿右衛門様式や古伊万里様式の絵付けもあり、マイセン陶磁器の隆盛を極めました。 さてさて、今回のタイトルには「ホメオパシー」も入っています。ホメオパシーは、クリスチャン・フリードリッヒ・ハーネマンというマイセン生まれの医師によって創始されました。ハーネマンの父は、陶画家ヘロルトの仲間でマイセン陶磁器の絵付師でした。クリスチャンは長男でしたから、絵付師を継ぐべく、芸術的才能を開花させるために父親から英才教育を受けました。その才能が、やがてハーネマンを突き動かし、病人を癒す医師にさせ、当時の未熟な医療への不満が、ハーネマンにホメオパシーを創始させる起爆剤となったのでした ドイツ・マイセンの至宝を堪能し、豊かなライフスタイルを送りたいですねお気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年02月04日 22時00分15秒
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