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カテゴリ:オヨヨ日記
6/16放送: 尼僧 村瀬明道尼 <禁断の恋とこの世の真実>
滋賀県大津市、月心寺。ここに、波瀾と激動の人生を生き抜き、平成の世を見つめる一人の尼がいる。 村瀬明道、83歳。朝の連続テレビ小説「ほんまもん」の庵主様のモデルにもなった彼女。説法と精進料理で人々を魅了してやまない彼女を華原朋美が訪れ、その魅力に迫る。 激動と波瀾に満ちた人生と、その中で彼女が見た人の世の真実、導き出した『金言』を紹介。 Dのゲキジョー~運命のジャッジ~ 「伝説の尼僧緊急出演!禁断の恋…制裁で半身不随奇跡の金言に華原朋美涙…あの恋真相初告白」 6月16日(金) 19:00~19:57 仙台放送 >>>>>>>>>> 何が「ほんまもん」か、これを読んだらわかります ほんまもんでいきなはれ ホンマモンデイキナハレ 村瀬 明道尼 ■内容紹介■ NHK朝の連続ドラマで大人気を博した「ほんまもん」の禅寺住職「あんじゅさま」。精進料理も超一流。天衣無縫の痛快人 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> 京都と大津の間、逢坂山に月心寺という小さな禅寺があります。室町時代の作と伝えられる石庭が残るほか、これといって変哲のないお寺ですが、毎日訪れる人が絶えません。その訳はここで供される精進料理。「吉兆」の主人を唸らせ、各界の著名人が通う料理の作り手が村瀬明道尼さんです。NHKドラマ「ほんまもん」では、料理人を目指す主人公が師事する「庵主さま」のモデルに。九歳で僧籍に入り三十九歳で瀕死の交通事故に遭うなど波乱の人生を歩んできた村瀬さんが語る人生の神髄とは。何が「ほんまもん」か分かります。(OK) >>>>>>>関連ファイル「私はこう読んだ」永六輔 「衆生本来仏なり」 いまこの国に、この言葉の意味を自分の言葉で説明できるお坊さんが何人いるでしょうか。 「全てのものに仏が宿っている」と唱えつつ、森羅万象に宿る命について考えることも、語ることもしない。そうして、寺を葬式屋にしてしまっているお坊さんは、堕落していると僕は思います。 宗教とは本来、生きている人を喜ばせるものであるはずです。 僕が月心寺村瀬明道尼さんとお近づきになってから三十年以上も通っているのは、単に庵主さんが「天下一」と賞される精進料理の作り手であり、月心寺で供されるお料理が美味しいからというだけではありません。 素材に息づく命を如何にして料理に活(い)かすか。このことに、真摯に向き合っておられる。衆生の中に野菜も含める庵主さんの、ものの見方がご馳走だからです。 昨年、庵主さんは本のタイトルの一部にもなっている、NHK朝の連続テレビ小説「ほんまもん」の題字を揮毫(きごう)され、料理人を目指す主人公が師と仰ぐ「庵主さま」のモデルとなったことで注目を浴びました。 面白い尼さんが逢坂山にいる。 僕がそう聞いて月心寺へ訪ねて行ったのは、昭和三十七年頃のことです。すでに僕だけじゃなくて、いろいろな人が出入りしていました。 月心寺では当時、ユースホステルを併設していたせいで若いひとも大勢いましたが、それに混じって僕らも上がり込んでいました。特別扱いなんて全然なし。たとえば、伊丹十三は京都での撮影の間、自分用の箸と椀を持参して月心寺に通っていた頃がありましたが、別段変わった料理なんて出て来ませんでした。 それでも、なんとなく居心地がいいのと、庵主さんに会うのが楽しみで入り浸っていたものです。 別段約束もせずに訪ねて行き、まず境内の「小町堂」にある小野小町の百歳の姿を写したものと伝わる木像にご挨拶し、それから座敷に戻って、何か食べるものを出して頂く。そんな訪問の仕方でしたが、いつもごく自然に出迎えて下さいました。 もちろん、当時はまだお若くて、僕なんかは最初、「よく働くお手伝いさんだなあ」などと思ってしまったくらいです。すでに京都では「高僧名僧墨跡展」みたいな催しの常連として「月心寺明道尼」の名は広く知られていたにもかかわらず、そんな権威張ったところなど全くなかった。たまたま間の悪い時に飛び込んでこっぴどく怒鳴られたことは何度かありましたが……。 まだ今のように料理をお客さんに出すようなことはせず、ごく限られた人だけしか食べさせてもらっていませんでしたが、台所では何故か「吉兆」の旦那が庵主さんの手伝いをしていたりして。見ていると、お互いの料理について情報交換をしながら作っているんです。 僕も厨房に立つのが嫌いではないので、お手伝いをさせて頂くこともありましたが、あるとき感動したのは、庵主さんが松葉を銀杏(ぎんなん)に刺すのを見せて頂いたときです。 固い銀杏に柔らかい松葉が吸い込まれるようにすっと入って行く。 「なにかコツがあるんですか?」 聞いても庵主さんは、 「長いことやってたら出来るようになります」とのお返事です。 随分素っ気ない、とその時は思ったものですが、いまになってみると、料理のみならず、ものごとの本質をとらえたお話なのではないかと思います。 意外に思われるかも知れませんが、本来、寺というのは美味しい食事を出すものです。もちろん質素ではあるのですが、周囲に農家の檀家さんがおられるお寺では、年中季節ごとの新鮮な野菜に不足することがありません。そうして頂いたものを粗末にしない、素材の持ち味を如何に引き出して料理するかということに、非常に繊細な計算をして出来上がってくる料理ですから、美味しいのはいわば当然なのです。 それを「普通」にやっている月心寺さんが「特別」とされることが、現代のおかしさなのですが。 本では庵主さんがこれまで歩んで来られた波乱に満ちた人生が描かれていて、僕には初めての話も多く、大変面白いのだけど、正直、物足りない点もありました。どれだけ文章に書かれていても、こちらにぶつかり、あちらをぶっ壊すといった、庵主さんの豪放磊落(らいらく)さを言い表わすのは容易でない、それくらい庵主さんという人が破格に面白い尼さんなんだ、ということでもあると思います。 でも、本当を言うと、そうしたことですらどうでもいい。こういう、勇気と元気を貰える、温かい人が今僕らの目の前にいてくれる、それだけで充分なのです。その人がたまたま尼さんなんだ、そういうことだけでいい、そう思います。 久しぶりに庵主さんにお会いしたくなりました。 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> 月心寺げっしんじ [社寺・教会] 画家・橋本関雪[はしもとかんせつ]の別邸で、没後に寺院として改められた。室町期の絵師・相阿弥[そうあみ]作と伝わる池泉回遊式の庭園は見事で、走井[はしりい]の名水や小野小町百歳像を安置する小町堂などがある。 住所 滋賀県大津市大谷町27-9 TEL 077-524-3421 公共交通 京阪電気鉄道大谷駅→徒歩5分 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月19日 01時23分59秒
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