さすらい都鳥日記
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日記更新の件 再び日記を付けようと思う。
2017.07.16
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最近は無目的に生きている。とりあえず自分の時間は確保している。 ----- Original Message ----- From: "" > To: ??????@yahoo.co.jp Cc: Date: 2014/6/6, Fri 09:40 Subject: 6日の日記 >& lt;楽天ブログの日記更新メールです>
2014.06.06
東京の帰り。大学4年になる長男と夜の大隈講堂をちらっと見た。 --- On Sun, 2014/4/20, > wrote:
2014.04.20
先月に引き続き今日ホテルニューオータニに宿す。なんと小沢幹事長が同じホテルで東京地検の事情聴取を受けていたらしい。夕7時に食事し通路に出たら報道陣の真っ只中にいた。見ると若いカメラマンや記者が多く現場に張り付いている光景に、こうして記者魂が育まれていくんだなあと野次馬の余は頼もしく思った。中には若い女性カメラマンもいて重いテレビカメラを抱えてけなげにがんばっていた。 深夜何気なくホテルのテレビをつけたら中国のCATV?かなにかで日本語が目に入った。「泣きながら生きて」というドキュメンタリーについてやっていた。余の語学力では到底理解できない中国語だったので、後で検索した。以下にメモす。ドキュメンタリー 「泣きながら生きて」 2006年中国作上海、東京、ニューヨーク ... 3 ヵ所へ散っていった 3 人家族、壮絶な 10 年間の取材記録<内容> 1989年、ある中国人男性が上海から日本へ渡ってきた。丁 尚彪(てい しょうひょう)さん。上海の街角で、とある日本語学校のパンフレットを目にしたのだ。そこには入学金と半年分の授業料、合わせて42万円と書かれてあった。それは、中国では夫婦二人が15年間働き続けなくては得ることのできない多額のお金。知り合いに頼み込んで借金をし、その年の6月、当時35歳だった丁さんは日本へと渡ってきたのだった。 丁さんは、文化大革命の嵐の中で育ち、学びたくても学ぶことのできない時代を生きてきた。日本語学校で学んだ後は、日本の大学へ進学することを目指していた。中国にいては果たすことのできない人生の再出発に賭けていたのだ。 しかし、丁さんが目指した日本語学校のあった場所は、北海道の阿寒町に位置する過疎化が進む町。働きながら借金を返して勉強をしていくつもりが、借金を返すどころか、仕事すらない。かつて炭鉱で栄えたこの町は、過疎化を打開したいという町の事情と思惑から、町民のかわりに中国人を入れればいい、と日本語学校が誘致されたのだ。 それでも、丁さんは借金を返さなければならない。このまま上海へ帰るわけにはいかなかった。覚悟を持って阿寒町を脱出し、列車を乗り継いで東京へ。しかし入国管理局は、"阿寒脱出者"にビザの更新を認めなかった。丁さんは、やむなく不法滞在者の身となってしまう。しかし不法滞在者になっても借金は返さなければならない。帰国したら再入国はできないため、東京で必死に働き続けた。そして再出発への希望が消えた丁さんは、自分が果たすことのできない夢を一人娘に託そうと決意する。娘を何としても海外の一流大学へ留学させたい。見つかれば即座に強制送還という身でありながら、借金を返し終えた後も、丁さんは東京で働き続けた。働いたお金はすべて上海の妻子へと送金した。 取材班が丁さんと出会ったのは、今から10年前の1996年。丁さん42歳、来日7年目の春のことだった。もちろん、7年間、中国へは一度も帰らず、3つの仕事をこなしながら都電が走る傍の豊島区の古い木造アパートで生活していた。壁には7年前に別れた、当時小学校4年生だった娘の写真。 年が明けて、1997年2月。取材班は丁さんの家族を訪ねるため、東京で働く丁さんの様子を撮影したVTRを持参して上海へ。そこには8年ぶりに見る夫の姿、8年ぶりに見る父親の姿が映っていた。娘の名前は、丁 琳(てい りん)。中国屈指の名門校、復旦大学付属高校3年生。大学受験が目前にせまる中、アメリカへ渡り医者になりたいという夢を持っていた。それから半年後に、ニューヨーク州立大学に合格し、アメリカ留学が決定した。http://www.fujitv.co.jp/ichioshi06/061103nakinagara/f_plans.html 出発の日の朝、上海空港で一人去っていく娘の後姿に、母親は号泣した。琳さんを乗せた飛行機はニューヨークへ向かう途中、東京で24時間のトランジットがあった。その24時間を使って、8年ぶりに父と娘は再会することになった...。 たぶん東京の街中だろうか、丁さんが沢山の荷物をリヤカーで運ぶ映像が目に焼きついている...。
2010.01.23
NHKプロフェッショナル 仕事の流儀「あきらめなければ、道はひらける~浅川智恵子~」を観た。 そしてひとつの奇跡を観た。14歳で失明し、英語の通訳になろうと大学へ行ったが全盲では通訳の仕事につけなかった。職業訓練所でパソコンの勉強をし、,,,とそこまではよくある話かもしれない。しかしそこから何十年かの時を経て、IBM研究所の主任研究員?としてチームを引っ張って現在に至っている。ここにもまた地上の星がいたんだなと思った。
2010.01.18
新年明けましておめでたうございます。昨年暮れ長年欲しかつた永井荷風全集をたうたうインターネット古書サイトで購入しました。そして改めて舊假名遣ひの表現の魅力に取り付かれました。 さつそくインターネットで檢索しますと、舊假名遣ひ変換ソフトmisimaに出會ひました。 そこには僕の疑念がやはり提起されてをりました。舊假名遣ひで書かれた戰前の文學作品を現代文にすると、香りの消えたアールグレイティみたものだと... misima そこで前囘のブログを舊假名遣ひに變更してみますと... 先日たうたう都はるみさんの夢を見た。場所は秋葉原邊のガード下。「あゝなう...み、都はるみさんぢやあないですか?」彼女は微笑んでゐた。いろいろお話したことは全て忘れた。一緒にラーメンを食べたのは覺えてゐる。 さて夢から醒めて、なんとなく胸騷ぎがしてきた。血液B型のためしばらく都はるみファンサイトをほつたらかしにしてゐたのだ。 そしてサイトを開けてみると、そこには何も映つてはゐなかつた。ほつぺたをつねつてみたら痛かつた。なんとサーバーの契約が切れて消去されてゐたのだつた。それから三日かけて復舊中だが、自分的には貴重な資料がずいぶん拔けてしまつた。 都はるみさん、ごめんなさい。あなたを應援しようといふ氣持ちが薄れてゐたのでせう。でも夢の中であなたにお會ひできて充電出來ました。寅さんに成り代はつてこの暗い日本の片隅であなたを應援しつゞけますね...。
2010.01.02
先日とうとう都はるみさんの夢を見た。場所は秋葉原辺のガード下。「ああのう...み、都はるみさんじゃあないですか?」彼女は微笑んでいた。いろいろお話したことは全て忘れた。一緒にラーメンを食べたのは覚えている。 さて夢から醒めて、なんとなく胸騒ぎがしてきた。血液B型のためしばらく都はるみファンサイトをほったらかしにしていたのだ。 そしてサイトを開けてみると、そこには何も映ってはいなかった。ほっぺたをつねってみたら痛かった。なんとサーバーの契約が切れて消去されていたのだった。それから3日かけて復旧中だが、自分的には貴重な資料がずいぶん抜けてしまった。 都はるみさん、ごめんなさい。あなたを応援しようという気持ちが薄れていたのでしょう。でも夢の中であなたにお会いできて充電出来ました。寅さんに成り代わってこの暗い日本の片隅であなたを応援しつづけますね...。
2009.11.21
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都はるみさんは何処でどうしているんだろう。最近またテレビでお見かけして少しはほっとしていたが...久しぶりで公式サイトを開いたが昨年春で止まっていた。 日曜の朝ホテルニューオータニで遅い朝食をとり、私も久しぶりで日記を書いている。この時間が自分を見つめる貴重な時間と知りながら長い間書けないでいた。 ロシア文学のように饒舌に書けなくてもよいが、せめて日々自分と向き合う少しの時間が持てないものだろうか?と思う。 このホテルは緑に囲まれている。最近は四谷駅から上智大学横の桜並木を通って来ることにしている。この大学は大変スマートな洗練された印象をもつ。この辺は紀尾井町にあたる。この町名は紀伊及び尾張両徳川家と井伊家の屋敷があったところと書いてあった。 また都はるみさんにもどる。はるみさんを影からささえる人は今いるんだろうか。いたらしっかりと支えてほしい。せめて公式ブログを更新して...
2009.07.12
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オレオレ詐欺を職業にする若者たち、詐欺はいけないと判っていて割り切っている。金を稼いで勝ち組になる、手段を選ばず...。 高学歴の若者もいるという。小さいときから点を取る競争をさせられ、大企業に入れたと思ったら内定を取り消され、詐欺グループの予備軍と狙われる。 最近大学生の意識の中に金への執着が大きいという。 思えばリストラ、非正規雇用で簡単に解雇し住処を追い出す企業社会。それらを生み出した今の日本社会そのものが大きく歪んでいると思う。 昭和の時代、軍国主義、極端な精神主義が敗北し、アメリカに憧れ物質主義、拝金主義となりバブルの絶頂期を迎えた。やがてバブルが崩壊し勝ち組と負け組に2極化した。その後のリストラや非正規雇用、医療年金問題、赤字財政では若者に夢をといっても無理かもしれない。 せめてもの救いはアメリカでオバマ政権が誕生し日本以上の難局に毅然とした態度で立ち向かおうとしている点だ。今の日本の政治は100年遅れていると思う。日本も大統領制にしてみてはとつくずく思う。
2009.02.11
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12月15日土、東京行、晴れのち曇り 内省の旅路、熱海を過ぎる。最近は仕事が忙しく毎日が風のように過ぎ行く。丁度車窓の風景のように。 最近考えていることは日本の将来について漠然とした不安。昨日も佐世保で銃乱射事件あり。 石油の値上げ、地球温暖化、working poor、社会保険問題など。なに一つ明るい兆候なし。 好景気というけれど、それは一部の産業だけ。地方の疲弊、国家財政の破綻に対し政府の対応は先送りを続けている...。 そんなことをぼんやり考えているうちに東京へ着きました。一仕事終え、夜宿泊先のホテルにつくと美しいクリスマスツリーが出迎えてくれました。ホテルは四谷の上智大学となりのニューオータニでした。外観は殺風景でしたが内装は改装したらしくて、今流行の黒を基調としてとても落ち着いた好感がもてるホテルでした。
2007.12.15
瀬島龍三さん死去について 元帝國陸軍大本営参謀で戦後シベリアに抑留され、その後商社丸紅で活躍され土光臨調でも参謀として活躍された。そんな昭和の生き証人が最近死去された。あまり多くを語らなかったといわれる。そのためマスコミからは冷ややかな論調が目立った。 わたしは例のbook offで分厚い氏の自伝を100円で買って読んだことがある。 とても緻密で記憶力のよい頭のいい人だと思った。彼が大本営参謀として活躍された年月はそんなに長くは無かった。20歳台でおそらく陸軍きっての若き秀才参謀として実務をこなしてこられたのではないかと思われる。 そんな彼を悲劇が襲う。それがシベリア抑留だ。彼は極東軍事裁判でソ連側の証人として法廷に立ったことで非難された。しかし何でもありのシベリアで拒めばどういうことになるかはわたしにも想像がつく。 彼は生涯参謀として活躍された。それで十分おつりがくると思う。 私の夢は100年後彼が見てきたすべてを書いた記録がでてくること....。そうしたら昭和の歴史がより正確に認識されるのではないかと思う。
2007.09.09
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パソコンが直りました。実はキーボードがいつの間にか英字使用になっていたり、他にもいくつかわからないことがありましたが、さすがプロに頼みましたら、たちどころに直ってしましました。いままでの自力本願はなんにもならなかった...。 そういえば歯医者さんでも同じ体験をしました。歯痛だけはどんなに自分であがいてみても決して良くなりませんでした。 何事にもプロはあらまほしきものですねぇ
2007.08.08
いま日曜日の朝。ホテルのロビーでノートパソコンを広げ書いています。CDはNABESADAを聴いています。結婚式の帰りかお台場の観光客かたくさんの人がいます。さっきちょっと外へ出てみたけど暑くて閉口しました。そうもう夏です。 レインボウブリッジが朝もやに霞んで別世界のようでした。また自由の女神が復元されていたのには驚きました。ここは日本?すべてが新しくすべてが夢のよう...。 誰とも話さない週末。発語中枢を刺激せず、自分同士が話しています。人間ってなんて不思議な生き物なんでしょう。 でも他の生き物だってそうかも知れません。犬にだって自我はあるし、まして猫にだって立派にあります。犬の散歩では、主人の行きたい方向と犬の行きたい方角がしょっちゅう喧嘩します。気が弱くちょっぴりやさしい主人はときどき負けてやります。猫が如何に散歩にむいていないかは、それだけ猫が独立した猫格を有しているかを示しています。 さて今回たまたま機会があって2週連続週末はホテル泊となりましたが、夕べとまったのはHOTEL GRAND PACIFIC MERIDIEN です。東京はお台場にあり、東京観光の名所のど真ん中にあるようです。そのせいか落ち着いたアンティックな基調のホテルの内装と観光客がミスマッチしているように思いました。 舌を噛みそうなホテル名は外資系?でしょうか。しかし天井高は低く抑えられています。省エネという点では良いでしょう。しかし部屋には音楽がありません。テレビがあるだけでまったくつまりません。 部屋の窓からはレインボウブリッジは見えませんが、船の形をした博物館?と海がみえ羽田方向なので飛行機がよく見えます。きっと描いたら銭湯の画のようになるでしょう。
2007.07.30
結局夕べは寝付けず気がついたら夜が明け始めた。もともと夜はめっぽう強いほうなのでいくらでも起きていれる。森鴎外は帰宅後いったん仮眠を取り、それから朝方まで内的な仕事をしたという。それで後世に残る仕事をしたが、それに引き換え余は...。 才能にも恵まれず、機会にも恵まれない。しかしと思う。もちろん大勢の人々に影響を与え、有名になることは大変なことだと思う。 でもいざというときにどう死ねるか、そのほうが重要と思う。電車に飛び込もうとしている人を助けるため最後まであきらめなかったお巡りさんがいました。自分にいざというときそれだけの覚悟ができているだろうか? 取り留めのない妄想はつづく...。いま27階にいるが、浜松にも高層マンションが最近できてきました。いま仕事でお付き合いしている税理士さんも、儲かっていると見えて最近高額な高層マンションに移られたそうです。でも年をとっていってこんな地上から離れて暮らして大丈夫かなあと思います。 ここには鳥のさえずりも無く、木漏れ日も無い。花を置いても蝶も飛んでこない。いいことといえば夜景がきれいなことと、蚊が飛んでこないことだけではないか...。もし連れ添いの方がいなくなり、一人ぼっちになったらこんな寂しいところは無い。 まだまだ妄想はつづく...。最近介護付き老人ホームが増えてきています。自分に死が近づいてきたら、こんなホテルに暮らしたい。せいぜい2階建ての。本当に必要なものはホテルの部屋にほとんど備えられている。あと数枚の着替えと数冊の本と数枚のCDと、DVDと、レコードと...あれあれやっぱり多くなってしまいます。もともと学生のころからかばんにいっぱい詰めて引きずって生きてきたから、だめだぁ。やっと眠くなってきました。もうすっかり朝です。 結局日曜日はチェックアウトの12時ぎりぎりまでホテルで過ごし新幹線で帰途につきました。ホテルを出てから新幹線に乗り込むまで5分もかからない、なんて便利なんでしょう。
2007.07.23
最近ふとした拍子に歌を口ずさむ。 もちろん都はるみさん 「ひとおり~で生きてくなんんて~できないいと♪♪」 ただし自分でも音痴を自覚しているため、人前ではめったに歌わない、というより歌えない。 たまに職場の宴会の2次会で、歌ってコールに責められて仕方なしにアルコールの勢いで歌うことはあるが、歌い終わるころにはシーンとなっているか、ガヤガヤ話声がしている。 1番よく歌うのは自宅でくつろいでいるとき。 家の者達は無表情でとおり過ぎてゆく。 さっきまで傍で寝ていた犬もいつのまにか遠くに行って寝ている。 2番目は散歩のとき。犬に連れられていくが、この時ばかりは歌っても犬は鎖につながれていて主人から逃げることができない。可愛そうな犬である。 ところで犬の嗅覚は人間の何百倍もあるときくが、聴覚はどうなんだろう。ビクターの昔のステレオには耳を傍立てる犬のキャラクターがあった気がする。 我が家の愛犬はあまり賢いとは思えないが、少なくとも音痴は識別できると思われる。
2007.07.18
神からのメッセージ「負けないで」ZARD 私は特に特定の宗教を信仰していませんが、どう考えても奇跡としか言いようのない現象が最近つづいているような気がします。 #1 大平光代さん 前大阪市助役 「だから、あなたも生きぬいて」著者 #2 Fujiko Hemingさん #3 宮本延春さん 「オール1の落ちこぼれ、教師になる」著者 いずれも極限までというより、生死の境まで追い込まれて、そこから猛勉強して有名になられました。 口でいうのは簡単ですが、並大抵の努力では到達できなかったでしょう。またはたして努力しても、現実にはなかなか到達できない才能というものがあります。 神が大勢のどん底にいながら一生懸命努力している人たちを見て、その中から心を打たれた数人を選び、さらなる能力をお与えになられた..... 確かにそう思えるのです。 そんな神からのメッセージのキーワードが「負けないで」ではないでしょうか? 最近逝去されたZARDの坂井泉水さんは直接そのメッセージを代弁さたのでしょう。私は彼女の若すぎる死とともに、このメッセージを心にしっかりと刻み込もうと思います。 六本木ハイアットホテルにて
2007.07.08
会津若松で高3男子が母親の首を切って殺害したと夜10時のニュースステーションで報道されました。殺害の動機は不明と。どこにでもある普通の家庭のようでぞっとしました。 11時NHKでフォーク特集をやっていました。「遠い世界に」「翼をください」「あのすばらしい愛をもう一度」など私が高校生のころに歌っていた歌がながれ思わず口ずさみました。 なにがどうなってしまったのか、母親を殺した高校生の深層心理はどうしてもわからない。 今外では雨が降っています。「遠い世界に」が国歌になればいいなと言っていた時代が懐かしい。
2007.05.16
久しぶりに日記をかく。最近昭和が愛おしく感じられる。 NHKで杉村春子特集をみた。 霜葉は二月の花より紅なり。晩年の彼女は魅力的だった。 そう、ときどき美しい老年の女性をみかける。 澄んだ瞳をしている方が多いように思う。 年をとって肉体は老化してゆくが、精神はかえって少年や少女に戻ってゆく場合もあるのだろうか。
2007.04.25
いよいよブログを始めます。 徒然なるままに、自分の在るがままを自然に話せたらいいな。 今東京タワーの近くのホテルで一人土曜の夜中、思い浮かぶ頭の中を散歩しています。なーんちゃって それにしても自分の顔を見なくなって久しい。 若い頃はデパートのトイレで自分の顔を角度を変えたり、髪型を変えたりしてひとり微笑んだりしたのに。 今では撮ってもらったスナップ写真もちらっと見ただけでポイ。だってちょっと見ただけで何処にでもいるオッサンにしか見えないのだ。 ひらきなおるしかないだろう。 でも心象風景は若い頃とたいして変わっちゃいないのだ。そんな私が昨年ふとしたきっかけで映画の寅さんを見て都はるみに恋をした。それは約30年前の映画だった。 つまり30年前の都はるみに惚れちゃったんだよ 『いくら好きでもあなたは遠おおい。』 この恋の小さな灯火をどうしたらいいのだろうか。近くで東京タワーが笑っているようだ...。
2007.02.25