さすらい都鳥日記
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日記更新の件 再び日記を付けようと思う。
2017.07.16
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最近は無目的に生きている。とりあえず自分の時間は確保している。 ----- Original Message ----- From: "" > To: ??????@yahoo.co.jp Cc: Date: 2014/6/6, Fri 09:40 Subject: 6日の日記 >& lt;楽天ブログの日記更新メールです>
2014.06.06
東京の帰り。大学4年になる長男と夜の大隈講堂をちらっと見た。 --- On Sun, 2014/4/20, > wrote:
2014.04.20
先月に引き続き今日ホテルニューオータニに宿す。なんと小沢幹事長が同じホテルで東京地検の事情聴取を受けていたらしい。夕7時に食事し通路に出たら報道陣の真っ只中にいた。見ると若いカメラマンや記者が多く現場に張り付いている光景に、こうして記者魂が育まれていくんだなあと野次馬の余は頼もしく思った。中には若い女性カメラマンもいて重いテレビカメラを抱えてけなげにがんばっていた。 深夜何気なくホテルのテレビをつけたら中国のCATV?かなにかで日本語が目に入った。「泣きながら生きて」というドキュメンタリーについてやっていた。余の語学力では到底理解できない中国語だったので、後で検索した。以下にメモす。ドキュメンタリー 「泣きながら生きて」 2006年中国作上海、東京、ニューヨーク ... 3 ヵ所へ散っていった 3 人家族、壮絶な 10 年間の取材記録<内容> 1989年、ある中国人男性が上海から日本へ渡ってきた。丁 尚彪(てい しょうひょう)さん。上海の街角で、とある日本語学校のパンフレットを目にしたのだ。そこには入学金と半年分の授業料、合わせて42万円と書かれてあった。それは、中国では夫婦二人が15年間働き続けなくては得ることのできない多額のお金。知り合いに頼み込んで借金をし、その年の6月、当時35歳だった丁さんは日本へと渡ってきたのだった。 丁さんは、文化大革命の嵐の中で育ち、学びたくても学ぶことのできない時代を生きてきた。日本語学校で学んだ後は、日本の大学へ進学することを目指していた。中国にいては果たすことのできない人生の再出発に賭けていたのだ。 しかし、丁さんが目指した日本語学校のあった場所は、北海道の阿寒町に位置する過疎化が進む町。働きながら借金を返して勉強をしていくつもりが、借金を返すどころか、仕事すらない。かつて炭鉱で栄えたこの町は、過疎化を打開したいという町の事情と思惑から、町民のかわりに中国人を入れればいい、と日本語学校が誘致されたのだ。 それでも、丁さんは借金を返さなければならない。このまま上海へ帰るわけにはいかなかった。覚悟を持って阿寒町を脱出し、列車を乗り継いで東京へ。しかし入国管理局は、"阿寒脱出者"にビザの更新を認めなかった。丁さんは、やむなく不法滞在者の身となってしまう。しかし不法滞在者になっても借金は返さなければならない。帰国したら再入国はできないため、東京で必死に働き続けた。そして再出発への希望が消えた丁さんは、自分が果たすことのできない夢を一人娘に託そうと決意する。娘を何としても海外の一流大学へ留学させたい。見つかれば即座に強制送還という身でありながら、借金を返し終えた後も、丁さんは東京で働き続けた。働いたお金はすべて上海の妻子へと送金した。 取材班が丁さんと出会ったのは、今から10年前の1996年。丁さん42歳、来日7年目の春のことだった。もちろん、7年間、中国へは一度も帰らず、3つの仕事をこなしながら都電が走る傍の豊島区の古い木造アパートで生活していた。壁には7年前に別れた、当時小学校4年生だった娘の写真。 年が明けて、1997年2月。取材班は丁さんの家族を訪ねるため、東京で働く丁さんの様子を撮影したVTRを持参して上海へ。そこには8年ぶりに見る夫の姿、8年ぶりに見る父親の姿が映っていた。娘の名前は、丁 琳(てい りん)。中国屈指の名門校、復旦大学付属高校3年生。大学受験が目前にせまる中、アメリカへ渡り医者になりたいという夢を持っていた。それから半年後に、ニューヨーク州立大学に合格し、アメリカ留学が決定した。http://www.fujitv.co.jp/ichioshi06/061103nakinagara/f_plans.html 出発の日の朝、上海空港で一人去っていく娘の後姿に、母親は号泣した。琳さんを乗せた飛行機はニューヨークへ向かう途中、東京で24時間のトランジットがあった。その24時間を使って、8年ぶりに父と娘は再会することになった...。 たぶん東京の街中だろうか、丁さんが沢山の荷物をリヤカーで運ぶ映像が目に焼きついている...。
2010.01.23
NHKプロフェッショナル 仕事の流儀「あきらめなければ、道はひらける~浅川智恵子~」を観た。 そしてひとつの奇跡を観た。14歳で失明し、英語の通訳になろうと大学へ行ったが全盲では通訳の仕事につけなかった。職業訓練所でパソコンの勉強をし、,,,とそこまではよくある話かもしれない。しかしそこから何十年かの時を経て、IBM研究所の主任研究員?としてチームを引っ張って現在に至っている。ここにもまた地上の星がいたんだなと思った。
2010.01.18
新年明けましておめでたうございます。昨年暮れ長年欲しかつた永井荷風全集をたうたうインターネット古書サイトで購入しました。そして改めて舊假名遣ひの表現の魅力に取り付かれました。 さつそくインターネットで檢索しますと、舊假名遣ひ変換ソフトmisimaに出會ひました。 そこには僕の疑念がやはり提起されてをりました。舊假名遣ひで書かれた戰前の文學作品を現代文にすると、香りの消えたアールグレイティみたものだと... misima そこで前囘のブログを舊假名遣ひに變更してみますと... 先日たうたう都はるみさんの夢を見た。場所は秋葉原邊のガード下。「あゝなう...み、都はるみさんぢやあないですか?」彼女は微笑んでゐた。いろいろお話したことは全て忘れた。一緒にラーメンを食べたのは覺えてゐる。 さて夢から醒めて、なんとなく胸騷ぎがしてきた。血液B型のためしばらく都はるみファンサイトをほつたらかしにしてゐたのだ。 そしてサイトを開けてみると、そこには何も映つてはゐなかつた。ほつぺたをつねつてみたら痛かつた。なんとサーバーの契約が切れて消去されてゐたのだつた。それから三日かけて復舊中だが、自分的には貴重な資料がずいぶん拔けてしまつた。 都はるみさん、ごめんなさい。あなたを應援しようといふ氣持ちが薄れてゐたのでせう。でも夢の中であなたにお會ひできて充電出來ました。寅さんに成り代はつてこの暗い日本の片隅であなたを應援しつゞけますね...。
2010.01.02
先日とうとう都はるみさんの夢を見た。場所は秋葉原辺のガード下。「ああのう...み、都はるみさんじゃあないですか?」彼女は微笑んでいた。いろいろお話したことは全て忘れた。一緒にラーメンを食べたのは覚えている。 さて夢から醒めて、なんとなく胸騒ぎがしてきた。血液B型のためしばらく都はるみファンサイトをほったらかしにしていたのだ。 そしてサイトを開けてみると、そこには何も映ってはいなかった。ほっぺたをつねってみたら痛かった。なんとサーバーの契約が切れて消去されていたのだった。それから3日かけて復旧中だが、自分的には貴重な資料がずいぶん抜けてしまった。 都はるみさん、ごめんなさい。あなたを応援しようという気持ちが薄れていたのでしょう。でも夢の中であなたにお会いできて充電出来ました。寅さんに成り代わってこの暗い日本の片隅であなたを応援しつづけますね...。
2009.11.21
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週末東京で勉強会があり赤坂プリンスホテルに宿す。前回泊まった時は4階の部屋で窓から隣のビルの壁しか見えなかった。そのため今回フロントで部屋が何階になるか尋ねたところ、逆に希望を聞かれた。なるべく高いところと子供然として答えると最上階の39階に案内された。 窓から国会は見える。皇居は一望できる、これで東京タワーでも持ってきてくれたら最高だったが...。 一人で贅沢な一夜を過ごしたといいたいとこだが、年取ったせいか夜すぐに寝てしまった。目覚めたら午前2時今から外出したら徘徊老人にでも間違えられるかと思いテレビでもみることにした。小野リサのボサノバが聴けた。肩に力がはいる都はるみさんと対照的にまったく力がぬけた音楽、飾らない知的な音楽にひたった。 いつしか赤坂の夜は明けて梅雨に戻るに戻れない微妙な夏の一日が始まろうとしている。都はるみさんはどうしているんだろう...。
2009.08.09
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都はるみさんは何処でどうしているんだろう。最近またテレビでお見かけして少しはほっとしていたが...久しぶりで公式サイトを開いたが昨年春で止まっていた。 日曜の朝ホテルニューオータニで遅い朝食をとり、私も久しぶりで日記を書いている。この時間が自分を見つめる貴重な時間と知りながら長い間書けないでいた。 ロシア文学のように饒舌に書けなくてもよいが、せめて日々自分と向き合う少しの時間が持てないものだろうか?と思う。 このホテルは緑に囲まれている。最近は四谷駅から上智大学横の桜並木を通って来ることにしている。この大学は大変スマートな洗練された印象をもつ。この辺は紀尾井町にあたる。この町名は紀伊及び尾張両徳川家と井伊家の屋敷があったところと書いてあった。 また都はるみさんにもどる。はるみさんを影からささえる人は今いるんだろうか。いたらしっかりと支えてほしい。せめて公式ブログを更新して...
2009.07.12
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オレオレ詐欺を職業にする若者たち、詐欺はいけないと判っていて割り切っている。金を稼いで勝ち組になる、手段を選ばず...。 高学歴の若者もいるという。小さいときから点を取る競争をさせられ、大企業に入れたと思ったら内定を取り消され、詐欺グループの予備軍と狙われる。 最近大学生の意識の中に金への執着が大きいという。 思えばリストラ、非正規雇用で簡単に解雇し住処を追い出す企業社会。それらを生み出した今の日本社会そのものが大きく歪んでいると思う。 昭和の時代、軍国主義、極端な精神主義が敗北し、アメリカに憧れ物質主義、拝金主義となりバブルの絶頂期を迎えた。やがてバブルが崩壊し勝ち組と負け組に2極化した。その後のリストラや非正規雇用、医療年金問題、赤字財政では若者に夢をといっても無理かもしれない。 せめてもの救いはアメリカでオバマ政権が誕生し日本以上の難局に毅然とした態度で立ち向かおうとしている点だ。今の日本の政治は100年遅れていると思う。日本も大統領制にしてみてはとつくずく思う。
2009.02.11
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日曜日コンピュータの画像をテレビに出そうとしてがんばったがダメだった。でも今日NHKテレビで2つの印象に残る番組をみた。以下私的メモを記す。#1ETV特集「作家・辺見庸 しのびよる破局のなかで」 秋葉原事件携帯ブログ日記風書き込み 誰も見ていないかも知れないのに天候の書き込みまで 日常の細かな心の動きも短く記されていた。「リア充(現世的で充実したやつ?)は良いよなあ 」 疎外感 リアルでない自分。 #2こころの時代~宗教・人生~「響きあういのち つないで」出演 精神科医・平山正実自殺者の心の叫び人と人との関係性の中で人は生きていける。例えば兄弟がいて自分は居なくてもいい存在であると思ったときリストカットする。人と人との関係性を失っていると悟ったとき自殺する。この関係性を共有する試みからグループホームが生まれた。いろいろなワーカーさん達がそれを重層的に支えている。 以上まったく異なる視点を持つ両者の、まったく異なる世界が不思議と重なって余の貧頭の中に納まった。 あの秋葉原事件はじつは他傷的自殺行為だったのでは?それは辺見さんがいうところでは、彼だけの問題ではない。金に浮かれたバブル期、リストラ、派遣それらを容認してきた我々の心の中に、なにか失ってきたものがあったような気がする。 カミュのペスト、読んでみたくなった。
2009.02.02
最近は仕事が忙しくブログを書く余裕がありませんでした。そんな中東京のホテルでのんびり一夜を過ごすことができました。久しぶりに泊まったホテルの名は東京パレスホテル。皇居大手門前に位置し古そうなホテルでした。 テレビはDVDも見れるようでしたが音響はテレビのスピーカーだけ。 しかし他のホテルには無いもてなしの心を感じました。それは果物がテーブルの上に置いてあったことです。みかん、りんご、ネーブル、バナナがそれぞれひとつずつ、もちろんナプキンとくだものナイフも。 静物画で見たような景色がそこにありました。ぜいたくな演出にしばらくは食べたい欲求を抑えて観賞していました。
2009.02.01
とうとうお盆休みが終わった。何故か最近永井荷風にひかれる。あんなに自分の日記を大切に思った作家は稀有だ。まるで自分の息子の様。彼は自分のDNAの代わりに日記を残そうとしたに違いない。日記こそ自分本位の結晶である。時代はどうであれ自分はどう思ったかが大切であり、それが正しかったかは後世の判断に委ねたのではないか? そんな何の役にも立たないことを夢想しているうちに、いつしか美しい澄んだ月が出ていた。虫の音が聞こえる。もう秋なんですね
2008.08.19
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深夜犬の散歩に付き合う。犬の足の向くままに進む。真っ暗闇の浜松城公園を天守に向かう。犬は暗闇が怖くないのだろうか?信念をもって前へ進む犬の気丈なのだけが頼りで天守閣につく。そのあと普済寺を通過し西来院へ。なんと家康の散歩道ではないか。 馬鹿犬と思っていたが徳川家縁の犬かも知れぬ。ひょっとして天璋院様の御祐筆の妹のお嫁にいった先の御つかさんの甥の娘に飼われていた犬...かも
2008.08.16
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都はるみさんの歌に「あなたの隣りを歩きたい」というのがありましたが、散歩の途中でふと我が忠犬?の顔を見るとそんな瞳をしているような..。猫のはるみちゃんよりはましかも。ところでその歌は一見単調そうですが、都はるみさんの場合切々とせまってくるものがありますネ。 http://www.youtube.com/watch?v=ykl2OOftwqI (一応我が忠犬モモ)
2008.08.03
まづNHK蔵出しのディレクターに感謝します。都はるみの全盛期の貴重なアルバムをありがとうございました。全盛期でありながら彼女は有頂天ではありませんでした。 涙の連絡船では泣いてましたね....。 映像をみて都はるみさんは美空ひばりさんと同様神に選ばれた存在だと確信しました。そのことはかしましむすめの長女さんの発言からも明らかです。 戦後日本の焼け跡に一縷の希望の光が流れました。それが美空ひばりさん。そしてその光を踏襲されたのが都はるみさんだと思います。どれ程の生命が彼女の歌によって救われたことでしょう。 もう二度と都はるみは現れないでしょう。神は彼女に試練を与え続けている。あの蔵出しの頃も、そして今も...。そしてはるみさんは真剣に歌い続けている。 せめて私に少しでもはるみさんに恩返しできることは無いだろうかと思います。
2008.06.16
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久しぶりでまた東京へきた。忙しい仕事の合間をぬって一人また。六本木ヒルズの49階で少しお勉強をして夜レセプションがあり東京タワーを見下ろしながら食事、これでいいのだろうかと思う。 でも東京タワーは美しかった。 この空の下のどこかに都はるみさんはいる。いま彼女はひとりぼっちかもしれない。かつて寅さんの映画で演じた京はるみと都はるみが今重なって見える...。 京はるみの歌以上に京はるみに惚れた寅さん、今一度都はるみさんにエールを送ってほしい......。
2008.05.31
今朝は日曜5時に起床。何時もは熟睡している時間なのに。何気なくテレビをつけました。NHK心の時代...徐 京植 「離散者として生きる」を見ました。 韓国が軍事独裁政権だったころ二人の兄弟を拘束された母、その母を見つめ何も出来なかったもう一人の弟 徐 京植氏(作家・東京経済大学准教授)の話でした。 彼が出あった一冊の本「アウシュビッツは終わらない 」...アウシュビッツに収容され生き残ったイタリア人化学者プリーモ・レーヴィの書。 科学者としての冷徹な眼差しで地獄の光景を切り取り後世に伝えようとしたプリーモ・レーヴィ。息子たちを取り戻せず道半ばで亡くなった母の無念を徐 京植氏は未だ取り戻せぬ祖国とともに離散者として訴え続けているようでした。 彼には忘れられない光景があるという。それは光州事件のとき国家権力に対して傘を手にして抵抗した一人の老婆の姿でした。 私にとって忘れられないのは天安門事件のとき戦車の前に立ちはだかり犠牲となった中国の若者の姿です。丁度事件の直前に中国旅行に行っていた私は北京で多くの若者に出会いました。日本の学生たちより全体に純粋で都会ずれしていませんでした。現地のテレビでその後学生たちと政府要人との対話路線が続き、まさかあんな事件に発展するようには見えませんでした。 あれから20年、当時の若者たちは今中国の第一線で活躍していることでしょう。彼らは今チベットで起きていることをどう認識しているでしょうか?インターネットの普及している現在いくら政府が取り締まろうと事実を封殺することはできないと思います。
2008.04.06
先週末 都はるみさんの名古屋公演を観ました。千秋楽でした。感動し一週間の間気持ちの整理がつきませんでした。 前半の都はるみ物語はほとんど内容は知っていたもののその感動的なシーンが、花束のように繋がって、まるで夢をみているような、そう走馬灯のような幻想的な物語でした.....。 実際まだ気持ちの整理がついていません。ただ言えるのは好きになった人をアンコールで合唱したこと...はるみさんと一緒に歌えたことに胸がいっぱいになりました。
2008.02.03
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久しぶりにブログを書きます。ブログを書くということは自分と向き合うということ。 最近忙しく自分を振り返る余裕がなく...と言い訳してみるが、今回久しぶりで名古屋に来ました。今泊まっているのはマリオットアソシアホテル。46階。 私は今の仕事につかなかったらパイロットになりたかった。しかし高所恐怖症であり目も悪かったためあきらめた。こうして下界と遠く離れると夜間飛行しているような... そういえばジェットストリームを昔よく聞いていました。今でもやっていますよね。あんなやすらぎと安心感を今の仕事に生かせたらきっといいだろうな、と思うが実際は仕事に追われ早口で話さないと終わらない。 もう深夜の2時過ぎです。これでやっとブログが更新できます。
2008.01.26
12月15日土、東京行、晴れのち曇り 内省の旅路、熱海を過ぎる。最近は仕事が忙しく毎日が風のように過ぎ行く。丁度車窓の風景のように。 最近考えていることは日本の将来について漠然とした不安。昨日も佐世保で銃乱射事件あり。 石油の値上げ、地球温暖化、working poor、社会保険問題など。なに一つ明るい兆候なし。 好景気というけれど、それは一部の産業だけ。地方の疲弊、国家財政の破綻に対し政府の対応は先送りを続けている...。 そんなことをぼんやり考えているうちに東京へ着きました。一仕事終え、夜宿泊先のホテルにつくと美しいクリスマスツリーが出迎えてくれました。ホテルは四谷の上智大学となりのニューオータニでした。外観は殺風景でしたが内装は改装したらしくて、今流行の黒を基調としてとても落ち着いた好感がもてるホテルでした。
2007.12.15
週末はまた東京へ来ました。都はるみさんの東京フォーラム行きたかった。(まだ言ってる)行きたいときは行けなくて、行きたくなくても用事で来てしまった。 トホホ...。 でも楽しみはやはり週末ホテルで夜景を見ながらボーっとすること。今泊まっているのは赤坂プリンスホテル、いや名前が変わってグランドプリンスホテル赤坂。 最近は名前が転倒するのが流行でしょうか。そういえば東京都立大学もなんとか大学東京とかに変わっていました。たぶん英語読みにすると落ち着くのでしょうね。 みんな日々変わってゆくのに変わらないのは不器用な私だけか...、むかしそんな歌がありましたね。 先程テレビのBSで再デビューされた”あみん”のコンサートを偶然見ました。落ち着いた大人のデュエットを楽しみましたがコンセプトは昔のままのように思いました。 背伸びせず等身大の自分をありのままに見つめて大切に育んでいく、そんな姿勢を感じました。 私自身20台のころの感動を一生暖めて生きている、そんな気がします。そんなことを思っているうちにもう夜中の2時になりました。東京の夜景もなんとなくひっそりとしています。
2007.10.27
ひさしぶりでまた東京へ来ました。 今回泊まったホテルは、品川駅に近いグランドプリンスホテル高輪です。たびたび泊まることの多いホテルですが、おそらく東京で一番贅沢な中庭を持っているんじゃないでしょうか? お部屋から見た景観は古い寺院の庭園かと見間違うほどです。 そして葵の御紋の入っている燈籠を見つけました。 朝食はレストランでいただきました。一輪のバラが食卓で迎えてくれました。 なんとも清々しい初秋の朝でした。
2007.10.14
東京国際フォーラムへ行けませんでした!都はるみさんの市川昭介先生一周忌記念コンサートと聞いていましたのに。お仕事を早く切り上げて新幹線の時刻を気にしながら、でも行けなかった...。無理をして行こうと思えば行けたのに...でも行けなかった...。自分でも本当の理由はわからない。深夜犬と公園へ散歩に出かけました。 中秋の名月’でした...。 思えば1年前テレビで寅さん映画がたまたまやっていて都はるみさんがでてきました。それから火がついたように都はるみさんの曲を聴きだしました。その矢先市川昭介先生が亡くなられました。その直後のコンサートが浜松であり、はるみさんをはじめて観ました...。 きっと今日のコンサートに市川昭介先生も来ておられたでしょうね。 お二人の出会いの歌 「アンコ椿は恋の花」 お二人の再会の歌 「大阪しぐれ」 お二人の最高傑作 「王将一代小春しぐれ」 東京フォーラムに入りきれなかった一ファンとして、お二人に感謝のエールを捧げます。
2007.09.26
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瀬島龍三さん死去について 元帝國陸軍大本営参謀で戦後シベリアに抑留され、その後商社丸紅で活躍され土光臨調でも参謀として活躍された。そんな昭和の生き証人が最近死去された。あまり多くを語らなかったといわれる。そのためマスコミからは冷ややかな論調が目立った。 わたしは例のbook offで分厚い氏の自伝を100円で買って読んだことがある。 とても緻密で記憶力のよい頭のいい人だと思った。彼が大本営参謀として活躍された年月はそんなに長くは無かった。20歳台でおそらく陸軍きっての若き秀才参謀として実務をこなしてこられたのではないかと思われる。 そんな彼を悲劇が襲う。それがシベリア抑留だ。彼は極東軍事裁判でソ連側の証人として法廷に立ったことで非難された。しかし何でもありのシベリアで拒めばどういうことになるかはわたしにも想像がつく。 彼は生涯参謀として活躍された。それで十分おつりがくると思う。 私の夢は100年後彼が見てきたすべてを書いた記録がでてくること....。そうしたら昭和の歴史がより正確に認識されるのではないかと思う。
2007.09.09
パソコンが直りました。実はキーボードがいつの間にか英字使用になっていたり、他にもいくつかわからないことがありましたが、さすがプロに頼みましたら、たちどころに直ってしましました。いままでの自力本願はなんにもならなかった...。 そういえば歯医者さんでも同じ体験をしました。歯痛だけはどんなに自分であがいてみても決して良くなりませんでした。 何事にもプロはあらまほしきものですねぇ
2007.08.08
いま日曜日の朝。ホテルのロビーでノートパソコンを広げ書いています。CDはNABESADAを聴いています。結婚式の帰りかお台場の観光客かたくさんの人がいます。さっきちょっと外へ出てみたけど暑くて閉口しました。そうもう夏です。 レインボウブリッジが朝もやに霞んで別世界のようでした。また自由の女神が復元されていたのには驚きました。ここは日本?すべてが新しくすべてが夢のよう...。 誰とも話さない週末。発語中枢を刺激せず、自分同士が話しています。人間ってなんて不思議な生き物なんでしょう。 でも他の生き物だってそうかも知れません。犬にだって自我はあるし、まして猫にだって立派にあります。犬の散歩では、主人の行きたい方向と犬の行きたい方角がしょっちゅう喧嘩します。気が弱くちょっぴりやさしい主人はときどき負けてやります。猫が如何に散歩にむいていないかは、それだけ猫が独立した猫格を有しているかを示しています。 さて今回たまたま機会があって2週連続週末はホテル泊となりましたが、夕べとまったのはHOTEL GRAND PACIFIC MERIDIEN です。東京はお台場にあり、東京観光の名所のど真ん中にあるようです。そのせいか落ち着いたアンティックな基調のホテルの内装と観光客がミスマッチしているように思いました。 舌を噛みそうなホテル名は外資系?でしょうか。しかし天井高は低く抑えられています。省エネという点では良いでしょう。しかし部屋には音楽がありません。テレビがあるだけでまったくつまりません。 部屋の窓からはレインボウブリッジは見えませんが、船の形をした博物館?と海がみえ羽田方向なので飛行機がよく見えます。きっと描いたら銭湯の画のようになるでしょう。
2007.07.30
結局夕べは寝付けず気がついたら夜が明け始めた。もともと夜はめっぽう強いほうなのでいくらでも起きていれる。森鴎外は帰宅後いったん仮眠を取り、それから朝方まで内的な仕事をしたという。それで後世に残る仕事をしたが、それに引き換え余は...。 才能にも恵まれず、機会にも恵まれない。しかしと思う。もちろん大勢の人々に影響を与え、有名になることは大変なことだと思う。 でもいざというときにどう死ねるか、そのほうが重要と思う。電車に飛び込もうとしている人を助けるため最後まであきらめなかったお巡りさんがいました。自分にいざというときそれだけの覚悟ができているだろうか? 取り留めのない妄想はつづく...。いま27階にいるが、浜松にも高層マンションが最近できてきました。いま仕事でお付き合いしている税理士さんも、儲かっていると見えて最近高額な高層マンションに移られたそうです。でも年をとっていってこんな地上から離れて暮らして大丈夫かなあと思います。 ここには鳥のさえずりも無く、木漏れ日も無い。花を置いても蝶も飛んでこない。いいことといえば夜景がきれいなことと、蚊が飛んでこないことだけではないか...。もし連れ添いの方がいなくなり、一人ぼっちになったらこんな寂しいところは無い。 まだまだ妄想はつづく...。最近介護付き老人ホームが増えてきています。自分に死が近づいてきたら、こんなホテルに暮らしたい。せいぜい2階建ての。本当に必要なものはホテルの部屋にほとんど備えられている。あと数枚の着替えと数冊の本と数枚のCDと、DVDと、レコードと...あれあれやっぱり多くなってしまいます。もともと学生のころからかばんにいっぱい詰めて引きずって生きてきたから、だめだぁ。やっと眠くなってきました。もうすっかり朝です。 結局日曜日はチェックアウトの12時ぎりぎりまでホテルで過ごし新幹線で帰途につきました。ホテルを出てから新幹線に乗り込むまで5分もかからない、なんて便利なんでしょう。
2007.07.23
半分仕事にかこつけてまた一人東京へやってきました。自分に会うために...。多忙に追われるのが日常なら、こうして大都会の海の中にもぐりこんで、ひっそり一人ホテルで夜を過ごすのはなんて贅沢な非日常でしょうか。 今日泊まっているホテルはJR東日本系列の ホテルメトロポリタン丸の内。 窓からは東京駅の線路と遠く東京タワーやレインボウブリッジまで見渡せます。 ホテルは東京駅日本橋駅の隣にありかなり便利です。この部屋は角にあるため景色はパノラマでちょっと良すぎるくらいです。 天井が高いのできっと外資系ホテルを意識しているんでしょうか。 難をいえば音響設備がない点。テレビしかないのは寂しい。 さて夜景を眺めながら一風呂浴びることにします...。
2007.07.21
最近ふとした拍子に歌を口ずさむ。 もちろん都はるみさん 「ひとおり~で生きてくなんんて~できないいと♪♪」 ただし自分でも音痴を自覚しているため、人前ではめったに歌わない、というより歌えない。 たまに職場の宴会の2次会で、歌ってコールに責められて仕方なしにアルコールの勢いで歌うことはあるが、歌い終わるころにはシーンとなっているか、ガヤガヤ話声がしている。 1番よく歌うのは自宅でくつろいでいるとき。 家の者達は無表情でとおり過ぎてゆく。 さっきまで傍で寝ていた犬もいつのまにか遠くに行って寝ている。 2番目は散歩のとき。犬に連れられていくが、この時ばかりは歌っても犬は鎖につながれていて主人から逃げることができない。可愛そうな犬である。 ところで犬の嗅覚は人間の何百倍もあるときくが、聴覚はどうなんだろう。ビクターの昔のステレオには耳を傍立てる犬のキャラクターがあった気がする。 我が家の愛犬はあまり賢いとは思えないが、少なくとも音痴は識別できると思われる。
2007.07.18
神からのメッセージ「負けないで」ZARD 私は特に特定の宗教を信仰していませんが、どう考えても奇跡としか言いようのない現象が最近つづいているような気がします。 #1 大平光代さん 前大阪市助役 「だから、あなたも生きぬいて」著者 #2 Fujiko Hemingさん #3 宮本延春さん 「オール1の落ちこぼれ、教師になる」著者 いずれも極限までというより、生死の境まで追い込まれて、そこから猛勉強して有名になられました。 口でいうのは簡単ですが、並大抵の努力では到達できなかったでしょう。またはたして努力しても、現実にはなかなか到達できない才能というものがあります。 神が大勢のどん底にいながら一生懸命努力している人たちを見て、その中から心を打たれた数人を選び、さらなる能力をお与えになられた..... 確かにそう思えるのです。 そんな神からのメッセージのキーワードが「負けないで」ではないでしょうか? 最近逝去されたZARDの坂井泉水さんは直接そのメッセージを代弁さたのでしょう。私は彼女の若すぎる死とともに、このメッセージを心にしっかりと刻み込もうと思います。 六本木ハイアットホテルにて
2007.07.08
旅と酒と都はるみのDVDとは最高の贅沢ではなかろうか? 若い頃は東京から北海道に夜行列車で帰るとき、あまりの時間の長さにラジカセは必需品だった。大きなラジカセとヘッドホンは旅の荷物の3分の1をしめていた。その後しばらくして‘SONYのWALKMANが登場した。確かにCDの音は良いがラジカセのアナログの迫力には及ばなかった。 でもこうしてnotepasocon.にDVDをいれて都はるみが聴けて見れるなんて、ほんとに生きてて良かった...としかいいようがない。 もうすぐ新幹線は東京へつく。
2007.06.30
梅雨らしい日曜の朝を迎えました。 朝からため息が...。 今日京都の南座で都はるみさんのコンサートがあります。 いろいろあって今回は行けなかった....。 浜松城公園の紫陽花もうっすらと色ずいてきました。
2007.06.24
最近は社会保険の問題、コムスン問題などいやな事件が重なり気がめいっていました。 しかし今日久しぶりに都はるみさんのBS日本の歌市川昭介先生を偲ぶ特集をみて感激しました。 「夫婦坂」でははるみさん、涙が流れていましたね。23年前の引退時紅白では市川昭介先生もはるみさんの歌う「夫婦坂」で涙を流しておられた。お二人の涙が重なって脳裏に焼きつきました。 歌だけはごまかしの一切利かない真実の世界と思います。 真剣勝負の都はるみさんに精一杯の感謝とエールを送りたい...。 夕日に霞む東京タワー 6月2日品川のホテルにて
2007.06.10
会津若松で高3男子が母親の首を切って殺害したと夜10時のニュースステーションで報道されました。殺害の動機は不明と。どこにでもある普通の家庭のようでぞっとしました。 11時NHKでフォーク特集をやっていました。「遠い世界に」「翼をください」「あのすばらしい愛をもう一度」など私が高校生のころに歌っていた歌がながれ思わず口ずさみました。 なにがどうなってしまったのか、母親を殺した高校生の深層心理はどうしてもわからない。 今外では雨が降っています。「遠い世界に」が国歌になればいいなと言っていた時代が懐かしい。
2007.05.16
5月の連休は飛ぶように過ぎました。 そしていつの間にか公園の若葉が新鮮な香りを運んでくれていました。 5月14日の新聞で梅原猛さんの「思うままに」を読みました。 その中で自分に他の人に無い能力があるとすれば、それは憑依(ひょうい)の能力だろうと書いていました。かつて氏の執筆中に聖徳太子や柿本人麻呂、円空、最近では観阿弥や世阿弥の霊が乗り移ったとのこと。 また以前NHKのプロフェッショナルという番組で、高名な漫画家が、神が手に乗り移るというようなことを言っていました。 最近では「千の風に乗って」が静かなブームになっています。 都はるみさんの20年程前の引退コンサート、その中で「涙の連絡船」を歌っていたとき、私は思いました。 これはひとりの修羅が歌っているのだと.....。
2007.05.14
都はるみのNHK人生の歩き方をみた。 父母、市川昭介、中上健次などおおくの人にささえられて今日の彼女があるということを、あらためて本人の口から語られた。 彼女が歌姫として人生を歩んでゆくのに、本当に必要なときに必要な人が現れていく様子がうかがわれた。そしてつらい別れが訪れる...。 都はるみの人生ってなんだろう。 望むと望まざるとにかかわらず歌屋としての頂点にたどり着くために、愛する人たちの死を乗り越えてゆかなければならなかった。 人生とは素敵な出会いと悲しい別れの中にある。そこに生じる一瞬一瞬の輝きが歌として残っていくのだろう。 最後の放送の歌うシーンは今年1月新宿コマ劇場の映像に違いない。今生死をさまよっている伯父と一緒に確かにあの場面に私もいた。 不思議な運命の1シーンである。
2007.04.26
久しぶりに日記をかく。最近昭和が愛おしく感じられる。 NHKで杉村春子特集をみた。 霜葉は二月の花より紅なり。晩年の彼女は魅力的だった。 そう、ときどき美しい老年の女性をみかける。 澄んだ瞳をしている方が多いように思う。 年をとって肉体は老化してゆくが、精神はかえって少年や少女に戻ってゆく場合もあるのだろうか。
2007.04.25
しばらく日記をつけずにいた。仕事に追われ気がついたら桜の季節になっていた。 先週は東京へ行った。泊まったホテルの名前は、 都ホテル東京 だった。はるみちゃんファンの私としてはちょっと似ているだけでうれしくなってしまった。 いよいよ4月4日夜10時25分からNHK教育テレビ「知るを楽しむ」で都はるみシリーズが始まる。1月の新宿コマ劇場公演のときNHKのカメラが入っていた。なにか関係があるかも...。
2007.03.31
忙しいweek dayがおわりほっと一息の土曜日の午後がきた。昨夜は仕事場の2階で寝てしまい、はっときずくと朝7時30分。8時の戦闘開始にそなえ近所の吉野家へ急行、400円の朝定食を食べた。 やっぱり400円の味がした。 浜松城公園の桜はまだかいな.....、という今日この頃、 さすらい都鳥日記も最後の2月分の引越しをむかえた。 2月7日 (水) 伯父が倒れた。 東京の伯父が倒れた。 母にとっては唯一人同じ父母をもつ兄弟...。 実は1月の都はるみ新宿コマ劇場コンサートは伯父、母、私の3人で行って来た。それから1週間後伯父は脳梗塞で倒れた。ひさしぶりにお会いしたばかりというのに。 まだ意識は回復していない。 それにしても都はるみさんのコンサートがなかったら、最近お会いできる機会が無かったことを思うと...。 コンサートのあと喫茶店でゆっくりとお話ができたのはせめてもの救いかもしれない。 2月24日 (土) 東京タワーの近くのホテルにて 土曜日のよる7時東京タワーの近くのホテルで今タバコを一服し日記を書いている。忙しかった1週間を振り返り至福のひとときだ。 先週中上健次の『天の歌 小説 都はるみ』を読んだ。彼がどうしてこの小説を書いたか解らないといった書評をどこかで読んだが、僕はなんとなく解った。 都はるみの誕生と死。普通の少女が都はるみへと転身し、歌という魔力に取り付かれボロボロになっていった。そこから必死の思いでのがれようとした。 「普通のおばさんになりたい」といったなまやさしい言葉では表現できなかった現実を彼女になり代わって訴えたかったのではないか。 「引退」という言葉だけでは済まされない悲痛の叫びを感じ取ることができた。 さあこれから一人でどこへ出かけようか...。 これで2月25日のブログにつながりました。 日記のブログへの引越しはおしまい。 これからいよいよブログ生活をはじめます。
2007.03.10
今日も晴れです。 今日は我家の愛犬モモをご紹介します。 題して、 主人を見限った犬! これまではよく散歩に連れてでかけていた。 私は夜帰りが遅く妻子は帰っても出てこないが、 犬だけは尻尾を振って出迎えてくれた。夜はよく添い寝してもくれた。 ところが最近忙しくてあまり散歩に連れて歩かなくなったのだ。 そしたらとうとう犬も出てこなくなった...。 犬は人を見るという。家族の中で人間に序列をつけているらしい。男の子はやんちゃでときに暴力をふるう。そのせいか子供のいうことは良く聞く。 妻は犬に餌をくれる。犬は飼い主に似るという。写真は主人の寝床を暖めて帰りをまつ忠犬モモ公...? 否、惰眠をむさぼる妻に似ている。 疑いだすと、犬が尻尾を振るのも怪しい気がしてきた。尻尾の筋肉は随意筋なのか不随意筋なのかこんど調べることにしよう...。 さて今日は1月分の日記のお引越しをします。 1月3日 (水) いくら好きでもあなたは遠い 昨年は不思議な体験をした。 何度も書いているが病にたおれた父と一緒にテレビを見たら寅さんがはじまり都はるみがでてきた。 父は大の都はるみファンのはずがはじめて観たとのこと。私は演歌嫌いだったはずが、この映画を通じて都はるみファンになった。じつは都はるみ以外の演歌はまだ好きでない。 都はるみの曲では、市川昭介先生の曲が好きだ。好きな曲を3つ上げろといわれたら、 1.「アンコ椿は恋の花」 2.「涙の連絡船」 3.「王将一代小春しぐれ」 そして4番目には都はるみ初期作品群と、「千年の古都」が並ぶ。後者は演歌的でない、素の都はるみが出ている気がする。最近の曲はまだ積極的には聞いていない。 ファンになったとはいえまだ数ヶ月。都はるみ40年以上の歌歴あり、追いつくのはまだまだ遠い。 1月7日 (日) ウーン痛い!1月5日そけいヘルニアの手術をした。くの字になっていると平気だが普通に立っては歩けないのだ。手術をして良かったのは麻酔から醒めつつあるとき、持参した都はるみのCDをここぞとばかり聴いたこと。まるで天から迎えが来たようだった。 1月14日 (日) 新宿コマ劇場 私にとって3回目になる都はるみさんの実演。大阪、新宿と緊張を保ちながら集中するのは大変だろうなあと思った。しかし実際舞台での彼女は本当に年齢を感じさせないくらい躍動していた。 「北の宿から」以後の焦燥、「大阪しぐれ」での市川先生との再会、「夫婦坂」での四十路の真意など彼女の言葉の端々から当時の彼女が如何にしんどい状況だったか拝察された。そんな中で市川先生が彼女にとってどんなに大きな存在だったか...。 そんなことを想いながら新曲の「風雪夫婦花」を聞いたら、うっすらと涙が浮かんだ。
2007.03.01
今日は水曜日 午前中はしばらく仕事がない。晴れていたので久しぶりで浜松城公園へでかけた。風はひんやり冷たかったが散歩に連れて行った犬は喜んだ。 さて今日は12月分の日記の引越しをします。 12月16日 (土) 市川昭介先生追悼 12月16日市川昭介先生追悼番組を見た。美空ひばり時代に続き演歌の黄金時代を築いた人だった。その人柄は誰にでも優しく無私の人だったという。 まだ若すぎる死と思う。 都はるみが引退すると言った時先生が「おまえはいいなあ。やめる曲は作らないからな。」といったという。先生はどんな気持ちだったのだろう。「夫婦坂」をどんな気持ちで作られたのだろうか。 12月23日 (土) 大阪新歌舞伎座コンサート 大阪新歌舞伎座都はるみコンサート(昼の部)を観た。浜松コンサート以上の迫力あり、圧倒された。市川先生逝去直後の浜松でのしみじみとした語りもよかったが、大阪では決意のような気迫を感じた。 はじめて聴いた「王将一代小春しぐれ」は格別だった。 はるみちゃんがんばってね!これから一生応援するからね。 このときの気持ちは今もかわらない。
2007.02.28
さてはじめます。最初昨年から別の日記に記録していたのでこのたびは日記の引越しをしようと思います。じつは都はるみさんのファンサイトをはじめようかと思い日記をつけ始めました。 平成18年11月1日 (水) はじめての日記他人が見るかもしれない日記を書くことになるなんて。きっといいかっこして嘘を書くに決まっている。でもこれも都はるみのファンサイトを確立するためなら、仕方ないか。 いま映画 easy raider をダビングしている。50を過ぎて若いころ見た映画が気になるなんて。 ということではじめたわけです。一息いれますね。我が家の子猫ちゃんたちの寝顔です。 つづいての日記です。 11月4日 (土) 都はるみの魅力どうして急に寅さんを観て都はるみが好きになったかって。うーん。長い長い年月都はるみが潜在意識に溜まっていって、都はるみの魅力がわかる年になって一気に開花した。そんな感じか。寅さんはそのきっかけに過ぎない。都はるみが映画の中で佐渡オケサを謡ったとき、なにかに触れた気がした。 ほんとに映画のなかの彼女はひかっていた。 11月14日 (火) ヒトラー最後の12日間ヒトラー最後の12日間を観た。以前その秘書の伝記を読んでいたが、より以前のヒトラーの日常が観たかった。秘書にまで優しく気ずかう彼のどこに狂気が潜んでいたか、それをどうして見抜けなかったのか。最後のインタビューでゾフィーショルの死について言及していた。白バラ抵抗運動のショル兄弟のことか。 さてさて昨年11月分の日記は無事引越ししました。 つづく
2007.02.26
いよいよブログを始めます。 徒然なるままに、自分の在るがままを自然に話せたらいいな。 今東京タワーの近くのホテルで一人土曜の夜中、思い浮かぶ頭の中を散歩しています。なーんちゃって それにしても自分の顔を見なくなって久しい。 若い頃はデパートのトイレで自分の顔を角度を変えたり、髪型を変えたりしてひとり微笑んだりしたのに。 今では撮ってもらったスナップ写真もちらっと見ただけでポイ。だってちょっと見ただけで何処にでもいるオッサンにしか見えないのだ。 ひらきなおるしかないだろう。 でも心象風景は若い頃とたいして変わっちゃいないのだ。そんな私が昨年ふとしたきっかけで映画の寅さんを見て都はるみに恋をした。それは約30年前の映画だった。 つまり30年前の都はるみに惚れちゃったんだよ 『いくら好きでもあなたは遠おおい。』 この恋の小さな灯火をどうしたらいいのだろうか。近くで東京タワーが笑っているようだ...。
2007.02.25