秦氏とは何もの?秦氏に関係する名前の持ち主さんは次のごとくです。 秦、端、畑、畠、羽田、波田、八田、半田、波陀、 これはみんな「ハタ」と読む。 野や山をつけて変化して波多野、秦野、畑山、畠山、畑中、 八幡、広畑、畑川、 そして派生して服部、羽島、林、神保、宋、惟宗、 田村、島津、長田、長蔵、辛嶋、小松、大蔵、依智(えち)、 三林、小宅、本間、高尾、高橋、原、常、井手、赤染、 長宗我部、(これは秦氏の謎、と十字架の国・日本から参考) ケン・ジョセフ著 この本の著者は、私の友人なんだが、 私のことも載っているので、興味ある人は買ってみるか図書館で 借りてみては? さて、秦氏とはどこの人か?その故郷は? 中央アジアの「弓月」、日本語ではゆづきと読むが、 中国語ではクンユエと読む所の人たちであった。 シルクロードの北方ルート上だ。バルハシ湖の南、イリ川付近。 現在のカザフスタンです。 早くからここはキリスト教国であった。 中国の皇帝たちは周囲の民族を征服し、労役に駆り出した。 難民も多く出た。弓月の人々も万里の長城の苦役に絶えられず 東へ逃げ、朝鮮そして日本にやってきた。 それを助けたのが日本の天皇であった。 紀元前から紀元後にかけて その人々は、東の国をめざして旅をしたのである。 2万人に近い大集団の移民が、記されているが 記されていない人たちも何回にもわたってボートピープルとして やってきたであろう。 日本にとって、その技術や文明は魅力であったに違いない。 秦氏にとっても日本の素晴らしい自然や豊かな水は 別天地であったであろう。 その当時の人口は全国で200万人くらいであったから、 その影響力は、日本の中枢に入っていって日本を 今の日本に至らしめるに十分であったにちがいない。 聖徳太子のブレーンは秦の河勝、その人であった。 古代史には、秦氏一族は背の高い人々で衣服を清潔にし 特別な言語や風習をもつ人々であったとあり、 “王は馬に乗り、高い文化をもつ人々”とある。(三国史・魏志東夷伝3世紀) 「衣服を清潔にし」というのは、特に古代東方キリスト教徒や ユダヤ人などに見られる特徴である。 昔のヨーロッパ人や中国人は清潔にはほとんど ちゅういをはらわなかった。風呂に入ることもなく 衣服を洗うこともなかった。 ヨーロッパで香水が流行ったのは、 風呂に入らず水で体を洗うこともしなかったからで 今も汚い人は香水をよくつけるのかもしれない。 (いやこれは、余談!?) これに反し、秦氏は清潔で風呂に入る。 ユダヤ人も風呂に入る前に体を洗うし、風呂の中で石鹸の泡の 中では洗わない。 トロイの遺跡発掘で有名なシュリーマン(1822~1890) は、世界一周の旅をして旅行記を書いた。 「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない」 この特徴は、秦氏がもたらしたものだろう。 SARSが日本に影響をもたらさなかったのは、 このためかもしれないと、思うがあながち的外れていないかも。 この特別な特徴を調べると調べるほど、 秦氏が驚くべき多くのキリスト教的特長を見ることができる。 日本を知るうえでこれは避けられない旅と思う。 これからもここでこの旅をしていきたい。 お楽しみあれ! ジャンル別一覧
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