カテゴリ:本・読書
・・・・・つづき
第八章 教育者たちの資質 日本の本当の罪は、西洋文明の教えを守らなかったことではなく、よく守ったことなのだ。それがわかっていたアジアの人々は、日本の進歩を非難と羨望の目で見ていた。 (P284) アメリカの「安全保障」のために秩序を維持し、ソ連を押さえ込み「共産主義の脅威と戦う」ために、韓国に軍隊を駐留させる必要があるなら、日本が韓国だけでなく、満州と中国に軍隊を駐留させることのほうが重要だった。 私たちは自分たちの行為なら犯罪と思わないことで日本を有罪にしている。これは正義ではない。明らかにリンチだ。 (P292) ヤルタ会談の時点では、ソ連は日本と戦争をしていなかった。そればかりでなく、日本との間で不可侵条約を結んでいたのだ。イギリスとアメリカは、具体的条件を出して、ソ連が特定の期日をもって不可侵条約を破棄するお膳立てをしたのが、両国代表団はそれを「違法」とは考えていないのだ。 その結果として、アメリカは8月6日(1945年)原爆を投下し、ソ連は8月8日宣戦布告、翌9日参戦した。 (P301) ソ連はこの行為によって、英米両国から日本の領土と財産、満州つまり財産を贈られた。イタリアがフランスに対して、全く同じことをしたときは、両国から「裏切り行為」として非難された。 アジア人は一連の出来事をパワー・ポリティクスの最もひどい見本と思っているはずだ。アメリカ人に、それがわからないなら自己欺瞞である。 (P302) 「共産主義の脅威」と「ソ連を押しもどす」必要性を叫ぶ政策立案者と政治家の意見を聞いていると、私たちはいったい何のために日本人を「罰しよう」としているのか、わからなくなる。こうなったら、日本の軍部指導者に勲章を、国民にカリフォルニアを贈るべきだ。彼らは「中国を征服」しようとした、と非難することはできる。 しかし、日本の指導部が満州と中国における行動を説明するのにつかった言葉と、今日私たちの政策立案者や著名な評論家がアメリカの政策を説明するのにつかっている言葉は、まったく同じなのだ。 (P307) アメリカは戦時中にソ連に協力していたのに、戦後は手のひらを返したようにソ連を敵視している。私たちは「ソ連を押しもどす」そして「共産主義の脅威と戦う」ことを政策として明らかにしている。 これは実に日本が、彼らの全近代をかけて実践してきた政策だ。そして、そのために現在どんな扱いを受けているか、思い知らされていることだ。 それだけに、私たちはどうやってこの政策を実行していくのか、日本にしてみれば考えるだけで頭がこんがらがってくるだろう。 (P309) 中国における「共産主義の脅威」と戦う行動拠点を確保するために、満州を緩衝国家にしようとした日本を支援しなかった1931年以降の米英両国の政策担当者は、犯罪的に無能だったことになる。 そして、対日関係をパールハーバーとシンガポールまで悪化させ、その結果、私たちの生命と財産ばかりでなく、極東の同盟国を失ってしまった政策担当者の無能ぶりは、犯罪をはるかに超えたものであるというほかない。 (P310) 付録 パールハーバー報告(上下両院合同調査報告) 1946年7月 大統領、国務長官、陸軍長官、海軍長官は、議会に和平か戦争かを諮るとする提案には同意せず、11月25日から12月7日までの間に、日本の「第一撃」を待つ戦術を選択していた。 (P323) この本が出版されたのは、日本の敗戦後3年目(1948年)である。 原爆投下を知り、スターリンは高笑いしていたことだろう。 朝鮮戦争勃発によって、マッカーサーは日本の戦争が「正当防衛」だったことにやっと気が付く。 7年間の占領という追撃戦によって、日本人の精神は徹底的に骨抜きにされた。しかし、アメリカは勝者であっても賢者となることはできなかった。 ヘレン・ミアーズが書いた内容は、日本びいきに書かれているわけではない。公平な目を持つジャーナリストだった。 したたかな欧米列強に破壊された日本。先祖の苦しみを思うと、少し涙がこぼれた。 日本の間違いも沢山あったが、間違っていなかったことは正々堂々と主張していくべきである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.05.21 12:07:34
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