高齢母と娘の関係
母親にとっては娘は一生のライバル関係のように見えます。この言葉に出会ってこの半年間の私に対する母からのショッキングな発言の意味が分かったような気がしました。(実家とは電車で2時間の距離。噛みつき事故を起こした犬と80代両親が暮らしている)最初の文は認知症ねっと第43回母と娘の関係日本認知症ケア学会理事長今井幸充先生の記事の中の文です。半年前父が入院した時期からもしかして認知症が始まった?と思うことが出てきました。それまで母は年相応の物忘れはあったものの、父と二人暮らしの生活は問題なく過ごしていたと私は思っていました。しかし1 入院した父からの母の物忘れで困ることが都度都度あったことことを聴く2 すぐに地域包括センターに相談に行ったことが母にわかり激怒されれる 3 ショックだったと3日続けて電話があったこと →「私の事をそんな風に思ってたの悲しい。寝れなかった」4 退院後腰痛に悩む父に近所の評判の良い整形外科を見つけて同行した時 母を同行させずに父と私で行ったとき →「今まで何もかも家の事父さんの世話をしてきたのは私なのに なぜ一緒に病院に行かせないの」と激怒 私の思い:私が行って母に負担をかけなくていい。母が来ると少しめんどくさいという思いがあった のも事実5 ドッグトレーニングに娘の私が同席を条件にされた時 →「なんで、娘と三人で受けるのか?」不満だった →後日、娘と一緒で良かったと言ってくれた。。。 私の思い:トレーナーさんも高齢の夫婦二人ではトレーニングを引き受けられないとの事そのことを伝えられなかった。 6 年始の手土産の父との差について激怒。 父はジャンパー、母にはパンツの詰め合わせ送ったことに対して後日行ったときに →私はいいけれど、旦那の両親にそんな事絶対にしないでほしいと激怒 →2週間後に来訪した時も 「私は子供のころから大切に育てられた。こんなことをされるとは。 ずっと夜になるとショックで眠れなかった」 →「あなたをそういう風に育ててしまったのは私だから。」「墓までもっていく」 私の言い分:「以前から洋服とかは自分で買うからいらない」と言い続けていたので 差しさわりのない下着とか靴下とかなら喜んでくれると思った。 父のジャンパーは主人の父にも買ったので、なんでも来てくれる父なので買ったその場には主人もいてくれたので、どうにか私もその場で感情的にならずにいられましたが認知機能の衰えや、今まで一人で頑張ってきた事で爆発したということはわかっていたけれどショックでした。 そこで出会った文章が最初の一文そして今井先生の言葉が続きます。娘の介護と他の家族との違いは、決断の速さと、その実行力のように思います。配偶者や息子の多くは「しばらく様子を見てみようか」と即行動することを避けようとしますが、娘の場合は、いろいろ情報を収集して、最善の方法を考え、それを実行しようとします。その際も自分で段取りを立て、実行し、完璧なケアを望みます。ですから、周囲の家族は、任せておけば安心、と傍観者を演じることができるのです。この時期の娘は、母親の病気を何とか治したい、と思いながらも、長年ともにして来た母がどんどん崩れていく様への失望、信じられない状況・事態への驚きと嘆きなどの負の感情と、同時に娘として自分が何とかしなければならない、自分ならできると奮い立たせる感情が入り混じります。また同性がゆえに自身に置き換えて考えてしまうと、いずれ来る自身の将来を悲観することもあるようです。このような感情を持つことで、娘の介護は、緻密で、ある意味では完璧な介護を試みようとします。そして、私の勝手な思いですが、親子関係が逆転し、自分が子育てしてきた時の思いが母親の介護に蘇ってくるのではないでしょうか。これは、不思議と息子や配偶者には持たない感覚のように思います。いずれにしても娘が世話することは、その思いが「ねばならない」で、とても強いようです。それは女性の持つ本能的な母性愛なのでしょう。娘が父親を介護する状況でも、娘の思いは同じですが、母親との違いは、父親よりも力の入れ方が違うように思います。すなわち、母親ができなくなった日常の行為に対しては、父親よりも厳しく正そうと力が入っているように思います。ある私の患者さんの娘さんは、「母とは毎日バトルです。」と笑いながら言っておりました。う~んまさしく私の事。自分の娘にしたことを母にしてしまいそうだった事(娘は大学から一人暮らしで母子関係に距離ができていい関係になれた事実がある)そして、父に対しての母の思いをないがしろにしてしまったことを反省。おちついてい自分の在り方を考えたいと思いました。・・・久しぶりの記述。書くことで落ち着いた自分がいます。