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鱧(ハモ) 天然活… 料理長52歳さん

2013年09月26日
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カテゴリ:健康
 メンコといわれると、それだけでとても昭和な雰囲気を感じてしまいます。子供の頃、雑誌の付録に力士を模ったメンコが付いてきて、その中の一枚の顔がとてもユーモラスで、本当にこんな顔の人がいるのだろうかと気になりながら、相撲中継を見て確認する気にはなれなかった事が思い出されます。

 レトロなおもちゃの一つと思えるメンコの歴史は、それほど古い物ではなく、江戸時代にはじまったと考えられています。当時のメンコは今日知られるような紙製ではなく、土を練って顔の形にして焼き上げた「泥メンコ」と呼ばれる物であったとされます。

 メンコの柄を見るとその当時の子供たちのヒーローが誰であったのかを知る事ができますが、泥メンコも同じように子供たちが憧れる人物がモデルになっています。泥メンコでは今日のような遊び方をする事はできず、憧れの人物に繋がる物を所持するというお守り的な物であったり、遊んだとしてもおはじきのような遊び方であったのではと思えてきます。

 後に泥メンコの遊び方は「穴イチ」と呼ばれる地面に開けた穴に、少し離れた位置から投げて穴に入れるという今日のビー玉のような遊び方と結び付いていきます。穴イチは平安時代の貴族の遊びであったものが江戸時代の子供たちの間にも広まったもので、穴に上手く投げ入れる事で相手の泥メンコを手に入れられるといった独自のルールの下に遊ばれていた事が想像できます。

 泥メンコ全盛の時代は明治維新による江戸時代の終わりと共に幕を閉じます。明治時代を迎え文明開化の気運の中、和風の古めかしい風俗は否定的な見方をされ、泥メンコ人気は一気に衰えていきます。替わりに人気となるのが西洋風のデザインを施された鉛製の「鉛メンコ」で、泥メンコに代わって子供たちに広く愛されるおもちゃとなっていきます。

 鉛メンコがどれほど子供たちの間に普及していたかは、大正9年(1920年)に出版された有島武郎の童話「一房の葡萄」の中の一説にも見る事ができ、当時の子供たちのポケットの中に普通に入っている物となっていた事を伺う事ができます。

 そうした高い人気のために、鉛メンコで遊ぶ事を禁止するという通達がたびたび学校から出された事が幾つかの資料に残されています。子供たちが日常的に鉛に触れる事による鉛害を防ぐ目的があったともいわれますが、友達の分をまとめて得られるという報酬の代わりに、自分の大事な鉛メンコを失ってしまうかもしれないというリスクという賭博性の高さや、遊びに興じるあまり学業が疎かとなる事を懸念しての事と考えられます。

 何度も学校から禁止されながら人気に衰えが見られなかった鉛メンコですが、明治20年(1887年)頃から造られるようになった印刷した紙を頑丈なボール紙などで裏打ちした紙製のメンコに徐々に主役の座を奪われていく事になります。

 紙製のメンコは印刷物である事から肖像を的確に再現している事や、映画のスターや軍人などの当時の世相を反映した新たな憧れの存在を反映する事で子供たちの人気となり、今日の遊び方であるメンコをぶつけて衝撃や風圧で相手のメンコを裏返す「起こし」と呼ばれる遊び方へと発展していきます。

 その後、長きに渡って子供たちに愛され続ける紙メンコですが、子供たちの遊びや社会情勢の変化によってその役割を終えたように思える反面、スポーツとして生き残っている事や、ルールや遊び方は変化しましたが、トレーディングカードによるカードバトルなどを見ていると、今日も生き続けているようにも思えてしまいます。





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最終更新日  2013年09月26日 07時44分28秒
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