テーマ:囲碁全般(745)
カテゴリ:囲碁
前回の話題は、ブログめぐり中にふと思った事から半分冗談のつもりで書いたのだが、ちょっと刺激的すぎたかもしれない。わださんから、次のようなコメントをいただいたので今日はこれに答える話。
「これから囲碁をはじめようと思っていた成人男性です。大変興味のある話題でした。ちょっと、身が凍りました。 囲碁よりも、もっと社会的に話題になっているのが たとえばこれですが↓ http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2005/03/03/6681.html (パチスロ依存症の話。借金を続けたり、子供を車において熱中。。。) nipparatさんのいう、囲碁の熱中も依存症と言ってしまえるのでしょうか。お意見お聞かせください。」 依存症とは簡単に言うと、特定の行動にのめり込んで習慣的に行動し、まともな生活に支障が出るような状態である。 この分野については詳しくはないのだが、精神的な依存症の中にもいろいろなタイプがあるようだ。もっとも厄介で且つ仕事柄よく見かけるのは、現実逃避的な行動としての依存症である。アルコール依存などもこの要素が大きい。これらは治療が必要な病気と思われる。囲碁に熱中している人には、このタイプはあまり多くないと感じている。 自分の技術の向上が楽しみで夢中になってのめりこむ場合は、依存症というより「自己実現のための行動」の範疇に入る場合が多いと思う。仕事にひどく支障が生じるほど熱中すれば、依存症の範疇に入ると言えるが、大人でそこまで行くケースは、ほとんど見たことがない。 子供の場合は病的熱中症はしばしばあって、私自身がそうであったし、身近で見聞きすることも多い。いずれにしてもこのケースにおいては、たいがいは病的な熱中状態はいずれは去って、「自己実現のための行動」の範疇に戻ってくる。 また子供の場合は、囲碁への病的な熱中時期というものが、人生にマイナスに働くことはほとんどなくて、必ずプラスに働くと信じている。私は、熱中するという行為自体にも価値があると思っているが、それより何と言っても囲碁がすばらしいものであるという事が一番の理由である。創造力、分析力、判断力、精神力など、様々な能力の訓練になる上に、一生を通しての趣味として人生を豊かにしてくれるからである。また、ある時期学校の勉強をしなくても、大学の入学試験程度の事に支障になるとは、まず考えられない。 更に、囲碁自体の価値が高すぎるので、パチスロやらテレビゲームの場合と同様な心配をする必要はないと思う。大人になって囲碁を覚えて、夢中になりすぎて仕事を失うとすれば、さすがに困った事ではある。しかし仮に一回くらい仕事を失ったとしても、それに匹敵するほど囲碁を趣味にすることは価値が高いと言っても過言ではない(話半分に聞くべし)。 ただし、賭碁にはまる場合は別に考える必要がある。当然、博打依存症の要素が大きくなってくる。もっとも、碁の場合は上達する楽しみやゲーム自体の楽しさが大きすぎるので、その心配もほとんどない。 とにかく結論としては、あまり心配せずに碁を覚えた方が良いということ。まず間違いなく、人生を豊かにしてくれるのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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