カテゴリ:カテゴリ未分類
私この業界に入って35年以上になるのだが、一度も「監督員が責任を取る」という発注者に出会ったことはなかったのだ。むしろ発注者無責任は当たり前なので、打ち合わせを書面でしっかり残すようにとずっと教えられてきていたし、若い衆にもそのことを教えているのだ。それと発注者としての公務員の方に申し上げたいのは、「仕事量が多い」とか「以前に比べると仕事内容が違い大変になった」とかで積算ミスが起こり、それは過大な要求事項に耐えられなくなった担当者が、しかたなく起こした過ちのように思っているのではないかということなのだ。それは大きな間違いで、ミスはれっきとした業務怠慢であることを自覚して欲しいのだ。役所の技術屋は名前だけの新の技術屋とは程遠いものになってしまっているのだ。積算ミスを起こす技術職は給料減給や免職され反省することが、納税者へ対する謝罪になるのではないだろうか。
技術は進歩し複雑になってきているし、より高度な専門職になるのはあたりまえなのに、土木部門の役所の幹部のほとんどは絶対的で封建的な役所と建設業者関係の中で仕事をしてきたため、今の透明性が求められる中での甲乙の関係が理解できていないのだ。また、今の担当者に求められる仕事と昔の測量や設計から携わって構造物を作り上げる仕事の違いを理解しようとしません。確かに昔は内部で設計していました。それをコンサルに委託するようになったうえ、照査する時間を与えられなくなったことでミスを見つける機会が激減しただけです。昔の発注者には技術屋さんがいたし、技術を知った事務職・管理職が当たり前で中身を知ろうとしていたのだが、今は単に選択するだけで積算しているのが実態なのだ。そして工事の実施となると足元を見透かしたように、向こうの業務を平然と我々に押し付けてくるのだ。 お役所の事務職は時間を使い切るまで事務量を増やし、技術職は事務職を理解しようとし補助し一部の業務を請け負うことが必要なのだが、事務職は技術が理解できずに表面・表紙の字面で判断してしまうのだ。技術でなく外見や当たり障で担当者を選んできた結果、真の技術は失われていってしまっているのだ。国交省の旧建設省部門は30年前より業務量が大幅に増えているのに職員は約半分になっているし、書面を含む全体業務量が増えている中で労働者を減らせば、ろくな業務成果は得られるはずもないのだ。公務員の人件費を削減することに精力を注いだ結果、納税者が得になっていない一例なのだ。役所の担当者に求められる仕事は、設計する事でも積算することでもないと私は思っているのだ。よりよい公共事業を進めるべく事業の進行管理とプロデュースだと思っているのだ。 幹部は担当者に対して過大な技術志向を求めすぎているみたいで、設計や積算に現場技術者としての高度な技能を求めて過大な要求をしてしまっており、積算ミスはそんな過大な要求を求められた担当者の限界からくるものだと思っているのだ。もっと専門的に担当者に技術を求めるのであればそういった環境を担当者に与えるべきなのだが、過去に仕事をしてきた方たちは全ての公共事業の過程を直接こなしてきたため、自分達がしてきた事と同じことを求めようとしているのだ。しかし、現在は昔とは仕事をしている環境が全然違ってきており、一つの公共事業にたいして求められる仕事量が莫大に増加しているのだ。もっと専門的な仕事は専門的な外部機関にアウトソーシングにするべきなのだ。技術を求めるのであれば本当の技術屋に求めるべきなのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年11月12日 08時18分33秒
コメント(0) | コメントを書く |
|