もし私が教師以外の職業を本気で考えるとしたら、何を選ぶか。つい数日前までは考えもしませんでした。私はこの8年間、「絶対に教員になる!それが自分で決めた夢だから」と頑なに信じてきました(というより、自分に暗示をかけていたと言った方が正しいでしょう)。もし「教える」以外の職業に就いた場合、今までの努力が水の泡になり、両親など支えてもらった方々に対して申し訳ない気持ちになるからです。ですからこの8年間、教員以外の職業は考えもしませんでした。
まず第一歩として、自分がやってきたことで「楽しい」「やりがい」を感じたことをまとめてみました。
思えば、私は小学生時代から「自分で調べたこと、成し遂げたことを伝える」のが大好きでした。
(小学生時代)
(注)高校卒業まで自宅最寄り駅が桜新町だった私は、東急との縁が深かったです。
・東急の電車や半蔵門線8000系の絵を描いては、両親に見せていました。
・新幹線や寝台特急の種類を覚え、これもまた両親に見せていました。
・どんな航空会社が、どんな旅客機があるのかを夏休みの自由研究で発表したこともありました。
(中学生時代)
・関東以外の地方の鉄道路線図を書いていき、各地域の都市名などを覚えていきました。
・2001年1月。中2の時に初めて本格的な撮り鉄の旅に出かけました。東急、東武、京成・都営浅草線・京急といった電車の写真です。これも例によって両親に見せていました。
(高校生時代)
・東武東上線のダイヤをちゃんと調べた上で、「準急の停車駅はおかしい」だとか「東上線は東武鉄道から独立すべき」と大真面目に両親に力説していました。
・歴代F1ドライバーの実績を詳しく研究。アイルトン・セナ、アラン・プロスト、ミハエル・シューマッハーといった超有名人はもちろんのこと、マイナーなチーム、ドライバーも網羅しました。
(大学生時代)
・国会での一票の格差を研究。その際、どの都道府県から国会議員が何人選出されるのかも調べました。
・各都道府県の知事や各地の人口を覚えるのに必死でした。しかしこれがかなり楽しい作業でした。
・オリジナルの小説を執筆していたこともありました。
・大学卒業旅行として四国(徳島、香川、愛媛)を訪問。その当時は「三大都市圏以外は衰退傾向なのか?」を確かめることがメインだった気がします。いずれにしてもアニメの要素はゼロでした。
(社会人として)
・アルバイトで物流倉庫に勤めた際、ヤマトや佐川急便が各地域に割り当てているコードの番号を覚え、何となくですが把握していくのが楽しかったです。
・アニメの大量視聴(5年間で約120作品)に取り組み、それが高じてプリキュアの絵を描いたことがありました。
・聖地巡礼の旅をブログに掲載しています。
手始めに考えられるものとしては以上だと思います。それにしても以上の表は私の趣味の遍歴とも言えます。
続いて、自分にできること、できないことを整理してみました。
(自分にできること)
・データを整理してまとめること。
・与えられた(決められた)手順に従って作業を進めること。
・文書の構成を考え、整理すること。
・段ボールを組み立てるなどの単純作業を黙々とこなせること。
(自分にできないこと)
・お客様に対してとっさの対応が苦手。
・相手の気持ち(真意)に立って説明するのが苦手。
・ジョークや皮肉に対して真意を理解するのが苦手。
(以上のまとめ)
・対データ、対資料となると強い。集中力を発揮する。
・接客・サービス業にはあまり向いてなさそう・・・?
これを10年前にやるべきだったのに、当時の私は「自分の未来はあまり考えなくても何とかなる」、「自分のことを分析して何の意味があるのか」と小馬鹿にした態度で就職活動に臨んでいました。他に、自分の出自などから逃げていたこともあります。アルバイト経験もほとんどありませんでした。
今更過ぎると思いますが、これが本当の「就活に向けた自己分析」なのかなと思った次第です。
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Last updated
Oct 31, 2020 10:50:52 PM
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