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「重さは自分自身なんだ、
と今日初めて、ほんとうに感じました。 いつも言われているんですよねえ・・・。」 そうです。何回言ったかしれません。 何回言っても新鮮なのです。 何回聴かされたかしれないのです。 何回でも新鮮に聴いてもらいたいのです。 「すべての存在は重さである」(野口三千三) 中でも、自分自身のからだほど具体的で、こんなに明快な事実はありません。 眼で見える。 手でさわれる。 体重計で量ることもできる。 それでも、 「からだの重さこそ自分自身である」という実感をもつことができないといいます。 思うにそれは、長い間、 精神と身体を分けて考えられてきたからでしょうか? 意識が身体を支配していると考えられてきたからでしょうか? そして、精神や意識だけが自分、…そう鵜呑みにしてきたからでしょうか? それとも、 ファッションが痩せたスタイルを美しいと思い込ませてきたからでしょうか? …これも、誰かの美意識の鵜呑み? 「結局 『人間にとってからだの重さとは何か』 の問題は、からだの動きによる実感で探るより他はない」 (野口三千三) からだの動きで探りました。 均衡の取れたからだでは感じられなかった「重さ」が、 からだの動きによって鮮やかに際立ちます。 「自分の重さこそ自分自身である」と実感したとき、 からだまるごと一つの中に、精神も意識も「重さ」となって存在しているのを感じます。 何を美しいと感ずるか、その感覚もまたからだの重さの中にあることが分ります。 「重さは存在そのもの・重さは自分自身」 そう実感される度にこのからだの重さまるごとが愛おしくなります。 重さで地球とつながる深い安堵感に包まれます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 27, 2010 06:48:33 PM
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