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テーマ:海外生活(7787)
カテゴリ:日記
友達のイヴァナとビデの話しになった。
彼女がドイツへ遊びに行って帰ってきたばかりなので、その話を聞いていたときのことだ。 “まーた桶を買っちゃったよー、家が桶だらけだ” “何で桶なんか買うのよ!?” “だって、ドイツってビデがないんだもーん、あたしビデなしじゃ生きていけない” “…” “ビデなしじゃ生きていけない”などと言う人、実はイタリアには結構いるのだろう。 いや、もしかしたらイタリアだけではないかもしれない、トイレットペーパーを使う習慣がない タイなんかにも、絶対いるはずだ。 “だいたいさー、イタリア人なんか、お尻さえもちゃんと拭けない人種なんだよ” とイヴァナは言う。 まさか、そんな理由でビデが存在するわけじゃないでしょ。 ビデ。 はじめて耳にしたのは、というか、目にしたのはたぶん小学校中学年くらいの時だと思う。 ウォシュレットに“ビデ”とかかれたボタンがあり、それを押すとノズルが伸びで 前のほうが洗えるようになっていた。 どうしてビデというのかなどと、考えたことはなかった。 これを発明した人がそういう名前だったか、この名前が気に入ってつけたのだろうと思っていた。 本物のビデに出会ったのは1999年春、始めてイタリアに来たときである。 トイレの横にちょこんとある、便器に似たようなもの。 海水浴場にある別荘だったので、“足洗いか。イタリア人はさすがにきめ細かいな。” などと思っていた。 それが“足洗い”ではないことを発見したのは、赤ちゃんのせにーのがウンチをして、 まあがビデでせにーののお尻を洗ったときである。 “そんな低いところじゃなくて、洗面所で洗えばいいじゃない” と言う私に、 “いやいや、ここはお尻を洗うためのビデだから、ここで洗うよ” と言われ、ここで初めてウォシュレットのビデと、この“足洗い”が、同じものであることを知ったのであった。 しかしウォシュレットと“足洗い”の違いは大きい。 ウォシュレットは用を足した後ボタンひとつで“洗ってくれる”感覚だが、 “足洗い”は便器で用を足した後、移動してしかも自分のオテテで洗わなければいけないのである。 考えてみるとなんだかちょっと抵抗を感じたものだが、興味津々ではじめて使ったとき、 お湯をジャージャー出してざぶざぶ洗うことに結構快感を覚えてしまった。 壁に向かってまたがって使うので、ズボンをはいてるときには片足を抜かなければならず、 結構めんどくさい。 日本ではウォシュレットがすっかり普及しているのに、どうしてイタリアまで来ないのだろう。 世界のほかの国ではどうなのか? 携帯用ウォシュレットTOTO YEW300 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年04月04日 21時40分20秒
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