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存生記

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2004年10月23日
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マーク・シェル、『芸術と貨幣』(小澤博訳)、みすず書房、2004年。

芸術はいかにして貨幣になるのか、貨幣はいかにして芸術になるのか。その問いに答えるヒントは、貨幣が記号であると同時に物質であるというその両義性にある。ヨーロッパの芸術は、キリスト教と深い関係にあるが、キリストもまた神人という両義性を持っていた。すなわち、救世主という記号と身体という物質性である。つまり、貨幣と神は、どちらも普遍的で等価の価値を持つという構造的に類似するものである。貨幣が貪欲や吝嗇という悪徳に走らせるという理由はもちろんあるが、貨幣と神の類似性があるために、キリスト教徒は、貨幣のもつ力を忌まわしい物として恐れたと本書には述べられている。

物質に銘刻されるやいなや、そのモノには貨幣という価値が生じる。聖像も描かれるやいなや崇拝の対象となる。聖像にはモノの概念的価値が備わっている。スペインの硬貨レアールは、「実質の」(リアル)という材料と、「王の」(リアル)のものであることという意味があるそうだ。著者の該博な知識もこの本の読ませどころである。キリスト教には、聖餅は硬貨のように印章を刻印されるが、小麦粉から作るその製造過程は、貨幣の鋳造とよく似ているために、多くのキリスト教思想家を動揺させたという。どちらも崇拝の対象になってしまい、葛藤を呼び覚ます。その結果、聖餅が神、貨幣が悪という図式ができあがり、両替商は忌まわしい存在として絵画にも登場する。

イエスがペテロに2ドラクマ税というさらなる課税額を、魚の口から取り出したステタル金貨で支払うように命じた理由。「魚ICHTHUS」は、「イエスIESOUS」、「キリストCHristos」、「聖なるTHeou」「我らがhUiios」「救世主Soter」から五つの単語の大文字をつないで構成されている、という解説はなるほどと感心する。魚が伝統的にキリスト自身に結びつけられてきた理由である。イエスとて、霞を食って生きているわけでなく、金銭的な問題に対処せねばならなかったが、それはさまざまな形で後世の解釈に影響を与えた。

商品としての絵画は、ゴッホの作品において絶頂に達する。1980年代に8200万ドルで売買され、購入した日本人が自分の墓まで持って行くと発言して物議を醸した。皮肉なことにゴッホは、市場に集まる拝金主義者たちを避けてきた。自分の絵を世間一般の普通の人に献呈し、画家同士で自分の絵を貨幣のように交換できる「芸術家の互助共同体」を設立しようとした。ゴッホは、金の塗料を使うのを嫌い、さまざまな黄色を用いた。金箔は、マネーを示すだけでなく、教会の伝統を表すものであった。だが、ゴッホの絵に描かれた太陽の光とひまわりの後光――この本では後光と貨幣の関係も考察されている――は、黄金の光を注ぐ太陽のヴィジョンが示されている。ゴッホは聖職者を志した時期もあったが、霊的なものが宿る黄金というイメージは、やはり浸透していたようである。

貨幣の電子マネー化が進む現代にあっては、アートも非物質化する。フォログラフィを使った作品やインヴェストメント・アートという株式の売買それ自体を題材にしてしまうジャンルも出現した。だが、依然としてフェティッシュなモノとして貨幣を欲望する事実に変わりはない。貨幣は、交換や表象といった現象に潜む謎と不安を喚起してやまない対象だからだ。





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最終更新日  2004年10月23日 00時13分07秒



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