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2004年06月04日
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カテゴリ:カテゴリ未分類


両親がふたりともいる家庭で育った場合、
男の子についてはよくわからないが、
女の子は成長過程において、父・母
どちらかの影響を強く受けるような気がする。

父の影響を強く受けて育った女の子を「父の娘」、
母のそれを受けて育った子を「母の娘」というらしい。
イギリス文学の評論から生まれた言葉のようだ。

この分類に従えば、私は間違いなく「父の娘」であった。
・・・とここまで書いたら、一人息子のホッタヒロキ
(仮名)が
「ふん! あんたは『母の娘』じゃないか。だらだら
したとこがそっくり!」と横から口を出した。

確かに父はしゃきしゃき、母はだらだらだったので
反論できないのがくやぴぃ!
余計なお世話だよ!

生活態度はともかく、精神的影響からすると
私は「父の娘」である。


これは父の生前から漠然と感じていたことだが、
死後、よりいっそうはっきりと自覚するようになった。

というのも、父の死後、何人かの友人から
「あなた、お父さん子だったのよね。ショックが
大きかったでしょう?」といわれたからだ。

フツー、40ヅラ下げて「私、お父さんが好き♪」とか
言わないよねえ??
でも私は言っていたらしい、無意識のうちに。
けっこうハズかしいわ!

この日記を読んでくださっている、お父様方には
うれしいことばだと思うけど。
そ、娘を持った男性諸君は幸せですよ。
死んでからこういうふうに言ってもらえるんだから。


さらに「父の娘」であることを実感するのは、
嬉々として親類縁者について語る自分を
発見するときだ。

私の父は、親類縁者に対して限りない愛情を
抱いており、実にしばしば彼らの思い出話を
語って聞かせてくれた。

母も昔話は好きだが、父の熱意のほうが上回って
いたことは否めない。

とても人様に自慢できる話ではないのだが
(EX:夜逃げだの駆け落ちだの)
私はわくわくとその物語を聞いて育った。

父亡き後、私はそっくりその嗜好(というのか
しらん?)を受け継いだのを自覚した。

・・・昨夜、私は、釧路に住む父の次兄の妻
(サルワタリのおばちゃん)にプレゼントする
ための、ファミリーポートレイト作りに
いそしんだ。

ほら、ひとつの額にたくさんの切り抜きがあって
そこに写真を入れられるアレよ。

釧路空襲で焼け残った家なので、どう新しく
見積もっても110年はたっていると思われる
曽祖父・立野清七郎の写真に始まり、
長兄と次兄の幼児期、戦時下とおぼしき伯父の
青春時代、昭和32年の私の両親の結婚式での
男の親族だけでとった写真、おばちゃんの長男で
3月に亡くなった長男・圭一さんの幼児期・・・
もっとも新しいものは、今年2月、私が26年ぶりに
釧路へ行ったおり、先ごろ亡くなった父の姉と
その夫・お嫁さん・おばちゃん・私の5人で
とった写真・・・

おばちゃんにそれらの写真の登場人物が
解読できないといけないので、人物表までつける
という念の入り様であった。

私の息子・ホッタヒロキものぞきこみ「これ誰?
どういう関係?」などと聞いてくる。
調子こいて嬉々として説明する私に、ホッタヒロキ
はこういった。

ねえ、なんでそんなに熱く語れるの?

お前はガキだからわかんないんだよ! 
私が死んだらわかるよ、この気持ちは!!

言い捨てる私であった。

ああ、釧路の皆さんはどうしているかしら。
また飛んで行きたくなった。





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最終更新日  2004年06月04日 08時23分49秒


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