「お姉ちゃん、死んじゃったのか・・・・・・」
旦那が云うと、幼女は座っていたベンチから飛び降り、しゃにむにかぶりを振った。
「違うもん! そんなことないもん! お姉ちゃんは帰ってくるもん!」
「気持ちは分かるけど・・・・・・」
少女が俯いて言葉を濁す。死んじゃったんだから、しょうがないじゃない。そっぽを向いたその姿は、そう云っているように見えた。
彼女だって寂しくないわけではないのだろう。同じように姉を亡くしているのだ。彼女が元気に見えるのは、幼い妹を説得しなければならないという使命感からかもしれない。
裸電球が、カチカチッと音を立てて明滅する。トタン屋根を打つ雨音が、少し小さくなった。
旦那はしゃがんだまま、幼女の両手を軽く握った。
「残念だけど、お姉ちゃんは本当に死んじゃったんだよ。もうバスに乗って帰ってくることはない」
後ろで少女がうんうんと肯く。幼女は睛にいっぱい泪を溜めてはいるが、旦那の子守唄を歌うような物云いの所為か、抵抗せずに聞いている。
「でもね、お姉ちゃんはずっときみと一緒にいるんだよ。姿が見えなくなっただけで、本当はずっとそこに居るんだ」
「本当?」
縋るように幼女が訊く。まばたきをすると、泪が一筋、頬を伝った。
旦那は大きく頷いた。
「うん、本当。だから、もうバスを待ってなくていいんだよ。分かった?」
「うん」
幼女は泪を拭って肯いた。
その時、弱まっていた光が、役目を思い出したように明るさを取り戻した。
「あ、お父さん」
座ったままだった少女が立ち上がる。彼女の視線を追うと、黒い傘をさした男性がこちらにやって来るところだった。手に、子供用の傘を持っている。
わたし達は軽く挨拶を交わし、彼に簡単にあらましを説明した。
「すみません」
父親は、幼女の頭に軽く手を置いて云った。
「この子が生まれてすぐに母親が亡くなりましてね。恥ずかしながら、長女に世話を任せっきりにしていたもので、この子にとっては、長女が母親代わりみたいなものだったんです」
「そうでしたか。でも、もう大丈夫だよね?」
旦那が幼女に問いかけると、彼女は元気に頷いた。まだまだ純粋なのだろう。すっかり彼の言葉を信じている。
わたし達は猫を見かけたら報せてくれるよう頼んで、その場を辞した。
「さっきの話、まるで今夜のことみたいだね」
坂道を登りながら、わたしは旦那に云った。雨脚はまた強くなっている。
「今夜のことって?」
「うん。雨月ってね、最近読んだ小説に拠ると、名月が雨で隠れて見えないって意味の他に、もう一つ意味があるのよ。雲で隠れて見えないけれど、月がそこにあることに変わりはない。だから雨月っていうのは、見えないけどそこにあるんだよってことでもあるんだって。ただのこじつけかもしれないけどね」
「へぇ、雨月かぁ。じゃあ、今日はもう帰ろう。猫捜しは明日だ」
「それ、何の関係があるの?」
「満月だって雲に隠れて見えないんだよ? こう暗くっちゃ、見えるものも見えないじゃない」
「そりゃそうだけど」
姑の落胆を考えると、このまま帰るのはちょっと気が引けた。しかし、足に跳ね返ってくる水滴で気持ち悪かったのも手伝い、わたしもそのまま姑の家の門をくぐった。
姑は猫のことよりも、なかなか帰ってこないわたし達のことを心配していた。あれ以上捜し回らなくて良かったと安堵する。
姑が出してきて呉れたタオルを受け取りながら、わたしがバス停で会った姉妹の話をすると、彼女は不思議そうに頸を傾げた。
「あら、あそこは二人姉妹だったと思うんだけどねぇ」
「一番上の子が亡くなったからじゃなくて、ですか?」
「ええ。たしか最初から二人だけよ。二人目が生まれてすぐに、奥さんが亡くなったんだから。亡くなったのが中学生の子で、下がまだ保育所に行ってるんじゃなかったかねぇ」
では、あの少女は姉ではなく、親戚の誰かだったのだろうか。
戸惑いを隠せないでいるわたしを見て、旦那がくすりと笑った。
「おれの云ったことは事実だよ。もしかしてと思ってたけど、やっぱり気づいてなかったんだ」
猫は翌朝、からりと乾いた状態で、姑の家の縁の下から出てきた。雨が降り出す前に、そこに非難していたようだ。
「なんだ、何処かに行ってしまったのかと思ったけど、ずっとこの家にいたのね」
姑はほっとしたように微笑って、猫を迎え入れた。
了
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