44.来夢の中で吹き上げてきた激情が正しくないと言われ、否定されたようでした。 まさか受け容れてもらえないとは予想もしなかったのでしょう。 はっと見開いたまま、瞳は水をたたえてきました。 「もう帰ろうよ、」 そうは言うものの、章の気持ちも体も来夢から離れられません。 突き放さないとおぼれそう。 章の中でも葛藤しています、絵を描かないといけません。 来夢としたいのは絵を描くこと。 自分の頭に言い聞かせて。 しかし理性で落ち着かせられるほどに未熟な体は訓練されていません。 どきどき・と。銀の鎖の腕時計の秒針よりも重く響くこの脈が悟られないとどうして思うでしょう。 脈の響きを感じているのに、どうしてだろう、キスしたくないなんて。 来夢は納得できません。 単純に熱に浮かされたのかもしれません。 唇が触れたときに。もっと・と本能から聞こえた気がしたのです。 「帰るよ、来夢」 章の低い声がしました。 付いていくのは足が重く感じられました。 翌日の朝、同じ教室で顔を合わせましたが二人とも普通を装っていました。 お互いの態度が、腑に落ちないと感じながら。 「おはよう章くん。俺、覚えてる?」 美術部のすこし変わった趣味をもっていそうな先輩が尋ねてきました。 「はい、おはようございます」 「きみたちのコンビ以外の絵、聞いていた?」 「・・いえ、聞いていたかもしれませんが・・耳を通り抜けました・・」 「だろうねーー。コンビ組まされてから2人ともしらけていたもんね。で、どうよ、少しは話でもした?」 「・・ええ、まあ」 「ならいいんだけど。あ、それでさ、他のコンビの絵。」 先輩の大きな声に、すこし離れた所にいた来夢も反応しました。 「クリムトの<接吻> と ダリの<燃えるキリン>」 「クリムト・・」 昨日の夜の出来事が急激に思い出されました、来夢の声も、唇も。 黄色い色に囲まれた至福のひとときをあらわしたクリムトの代表作。 そっとキスをする幸せなふたりの姿、どうしてこのキスをせがんだのか・・。 「クリムト組はどうやらクレヨンで再現するらしい。ダリ組は無謀に油絵。きみたちは?」 「・・水彩です。」 声が震えそうでした。 「・・シャガールを?・・すごいな、見てみたいな!・・ああ来夢くんだ!頑張れよ!」 先輩は水彩と聞いて嬉しそうです。 「その発想が個性的でいい。どんな解釈をするんだろう、楽しみだ」 放課後に章は来夢に「今日、何時までのこれそう?」と聞きました。 「何時でもいいよ。描こうよ。」 まっすぐ見つめてくる来夢に負けそうです。 窓を半分だけ開けて生成のカーテンを閉めた放課後の教室にふたりだけ。 机をくっつけて、白い中厚紙を広げます。 「大まかに下書きを。来夢・・こんな感じで」 2Bの鉛筆でさらさらと、空間を分けていきます。 天井の点・床の点・奥行きを掴みために点を打って、線でつなげます。 分けた空間におおまかな塊がみえました。 「うん」 来夢は見本の<誕生日>を見ながら、鉛筆の描く線を追いかけます。 「いいね、」 「・・じゃあ来夢、こっちから細かい線を入れてくれる?」 「うん」 章の隣で同じく2Bの鉛筆を動かします。 すらすらと台所を写し取ります。 「・・うまいね来夢」 「好きだから」 何気ないその言葉にも どきっとしてしまいます。 忘れようとしても、つい。 なにかのきっかけで意識してしまいます。 「うん、そうだったね。シャガール」 「だけじゃないよ」 「え・・?」 章は聞き返してしまいました。 「どう言ったらわかってくれるのかな・。昨日からずっと章のことばかり考えているのに」 「えっ」 「シャガールを描くだけの相手なんて、寂しい」 鉛筆を中厚紙の上で寝かせました。 「この絵を描き終わっても同じクラスで。友人で。変わらないんじゃない?」 章はどきどきしながら、表面の冷静さを装いました。 「寂しいんだってば」 絵に集中できていません。 台所から、全くすすんでいない来夢の絵。鉛筆を寝かせたままです。 これでは期限に間に合わなくなります。 「来夢。絵に集中してよ」 思わず声が低くなりました。 「集中させてよ」 意外な答えが返ってきました。 「は?」 章は苛立ちを隠せませんでした。 「何をいってるの?」 「章が、集中してないんだよ。だから俺もかけない。だから・・楽にさせてあげる」 5話へ続きます。 ひとことでもコメントくださると嬉しいです。 WEB拍手を押してくださるとお礼がありまする。 |