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2024.04.02
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カテゴリ:仙台


岩切の入山から、住宅街の車道を県民の森中央公園に登っていく途中に、岩切城跡の説明版がある。

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史跡 岩切城跡 指定年月日 昭和57年8月23日
 別名を高森山、鴻の館(こうのたて)とも伝えられる。仙台市岩切入山と利府町神谷沢にまたがり、急峻な地形を生かした典型的な中世時代の山城である。
 平泉藤原氏の滅亡後、源頼朝は重臣伊沢将監家景(いさわしょうげんいえたて)を陸奥国の留守職(るすしき)に任じた。伊沢氏は留守姓を名乗り、岩切城を居城とする。七北田川の水運にも恵まれたこの地は、東北地方の政治、経済の中心地として大いに栄えた。貞和2年(1346)、足利尊氏は奥州管領(かんれい)として吉良貞家(きらさだいえ)、畠山国氏(くにうじ)を任命するが、足利家内部で兄尊氏と弟直義(ただよし)の対立が激化すると、両者も二派に分れて争うことになる。留守氏は畠山氏、宮城氏とともに尊氏側に加担したが、正平6年(1351)ここ岩切城での合戦に敗れ、岩切城は落城、留守氏は衰えた。
 その後、留守氏は伊達氏と親族関係を結んで勢力を回復、藩政時代は水沢に1万6千石を領し、一門格に列せられた。なお、岩切城は元亀(げんき)年間、留守氏が居城を利府城に移すとともに廃城となっている。

(航空写真があり、その説明)高森山を中心に、頂上や尾根を平に削り出して、数多くの平場を構えている。各平場は空堀で区画され、あるいは土橋で結ばれている。
(書状の画像があり、その解説)岩切城の合戦に際し、野田盛綱(もりつな)が吉良方に属したことを示す文書(軍忠状)。留守氏が徹底的な打撃を受けたことが文中に見えている。(鬼柳文書)
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城跡に登る。仙台市中心部や、岩切、利府方面がよく望める。






利府町神谷沢の東雲院の近くからも、城跡に登る道がある。畑の中を進む道はすぐに杉林に囲まれた坂道になる。



史跡の区域に入ったからなのか石標がある。



とうはつの森という看板がある。



やがて、空が開けて平場に出る。シダレ桜が咲き始め。利府方面の新幹線の高架がよく見えた。





ここにある説明板。高森山頂に近いはずだが、利府町域なのだろう。利府町教育委員会と記されている。



読んでみる。
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岩切城跡(高森城跡)
 仙台市岩切と利府町神谷沢にまたがり、自然地形を生かした典型的な中世の山城です。
 平泉藤原氏の滅亡後、源頼朝は重臣伊沢将監家景を陸奥国留守職に任命しました。伊沢家は留守姓を名乗り、岩切城を居城としました。七北田川の水運にも恵まれたこの地は、東北地方の政治、経済の中心地として大いに栄えました。貞和2年(1346年)、足利尊氏は奥州管領として吉良貞家、畠山国氏を任命します。足利家内部で兄尊氏と弟直義の対立が激化すると、両者も二派に分かれて争うことになりました。留守氏は尊氏側に加担しましたが、正平6年(1351年)の観応の擾乱にてここ岩切城での合戦に敗れ、岩切城は落城、留守氏は衰えました。
 その後、留守氏は伊達氏と親族関係を結んで勢力を回復し、藩政時代は水沢に1万6千石を領し、一門格に列せられました。なお、岩切城は元亀年間、留守氏が居城を利府城に移すとともに廃城となりました。
平成21年12月 利府町教育委員会

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仙台市側の説明板に比較して、ですます体と若干の送り仮名の異同のほかには、「観応の擾乱」の語が入っている。

去年よりはだいぶ遅れたが、仙台でも桜開花と報道された。早い遅いはあっても毎年毎年、花は咲く。何百年前の合戦に思いを馳せながら、陽気に包まれた散策だった。(4月2日午後)

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最終更新日  2024.04.02 23:23:53
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