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テーマ:■ムービー所感■(484)
カテゴリ:映画
若い愛人を囲った三流発明家の夫、息子(マレー)を溺愛する母親(ブレー)、その姉。堕落したブルジョア家庭で、息子と夫が愛した女が同一人物だったことから、家族・男女の関係が錯綜するー
登場人物わずか5人、全編室内シーンのみ。コクトーが自作の同名戯曲を映画化した、ブルジョア家庭の愛憎と退廃を描く。 コクトー作品という贔屓目なしでは、無難に楽しめる寸劇の域を出ず、名前で観てしまう部分が多かれ少なかれある。 演劇を映画にすることの意味とはいったいなんだろう。舞台は舞台にしかない良さがあって、カットも撮り直しもない一発勝負。幕が開く緊張感がたまらない素晴らしいものなのに。映画という枠にはめて、成功した例をあまり見ない気がする。 それでも、コクトーが初めて自身の作品を映画化した本編は、きっと深い思い入れがあったのかもしれない。室内劇の閉塞感は、溺愛ママとマザコン息子によく似合っていた。息が詰まりそうになるほど。 じつは、同居する姉の婚約者を奪う形で、今の夫と結ばれている母親。静かに身を引き、いまだ独身で家事を引き受ける姉の内心の苦悩と嫉妬は、生半可なものでなく。夫を顧みず息子ばかりを溺愛する、糖尿病に病んだ神経衰弱の母も、息子ミシェルの恋人が自分の愛人マドレーヌと知って、突然の暴挙に出る発明家の夫も、パトロンが恋人の父親と知って驚愕するマドレーヌも。みんな八方塞がりのなかを、自己愛、利己愛、盲目様々にあっぷあっぷしている姿が、あまりにも滑稽。 マザコンの気色悪いミシェルが、黒い糸引く大人たちを見ているうち、まともに見えてくる面白さ。彼はそう育てられてしまっただけで、泥沼のような家馬車(憎しみを込めてそう言った)から抜け出そうと、必死にもがいているだけ。 初めて女性を愛した時、溺愛する母親から逃れるためには母親殺しをするのかと思いきや、、父親の独断で、ミシェルとマドレーヌの仲は引き裂かれてしまうのだった。 失恋に落ち込む息子、破局を喜ぶ母。果たして結末は・・・? 愛人に濡れ衣を着せひとり安堵した父親も、彼への思いをやっと乗り越えた姉も、若い二人の破局の痛手を知って後悔しはじめる終盤。真実が暴露されたとき、衝撃のラストが待っている。 原作・脚本・監督 ジャン・コクトー 製作 アレクサンドル・ムヌーシュキン 撮影 ミシェル・ケルベ 音楽 ジョルジュ・オーリック 出演 ジャン・マレー 、イヴォンヌ・ド・ブレー 、ジョゼット・デイ ガブリエル・ドルジア マルセル・アンドレ (カラー/98分) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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