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カテゴリ:磯子区
ちんちん電車の走った道(その他の写真)←クリック ここは明治45年4月に横浜市電の滝頭車庫と修理工場がつくられ、市内交通最大の拠点となったところです。この年に駿河橋から八幡橋まで延長された市電は大正14年4月に磯子、11月に聖天橋まで、昭和2年3月には杉田まで延び、通勤・通学やお買いものの足として大活躍しました。夏には横浜各地区の子供たちが電車に乗って磯子の浜辺に海水浴に来ました。乗務員どうしの合図や路面安全の信号音から「ちんちん電車」と呼ばれて親しまれ、また横浜の大きなお祝いのときには華やかに飾った「花電車」が昼も夜も市民の目を楽しませてくれました。特に磯子区内は掘割川の緑の柳や根岸湾の青い海の眺めがすばらしい路線でした。 昭和30年代の最盛期の横浜市電は路線延長52キロメートル、一日の平均乗車人員30万人に達し、横浜の発展に大きな貢献をしました。しかし、その後は自動車交通量の増加に押されて運行もままならなくなり、昭和47年3月31日に明治37年「横浜電気鉄道」として運行開始してから68年の歴史の幕を閉じ、その役目を地下鉄に譲ってここはバスのターミナルとなりました。 栄光の電車たちは市電保存館で体を休め、今でも横浜の子供たちの人気の的です。 磯子区滝頭地区連合町内会 横浜磯子ライオンズクラブ 磯子区郷土研究ネットワーク との事である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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