『教えるということ』 林竹二『教えるということ』 林竹二 教育という文字には、何故「教える」という語のほかに「育てる」あるいは「育つ」という語がついているのでしょうか。 私はその意味をこんな風に考えています。 教える努力が、教えられる子どもを育てるちからをもたない、あるいはその子供が本来もっている育つちからをそこなうとかゆがめるとかするならば、それは教育ではないということです。 育つとは、ことばを換えていえば成長です。教育は子供の人間としての心身の成長をたすける仕事にほかならないのです。 見も心も子供が成長するためには、精神的にも肉体的にもその子供が必要とする栄養を供給しなければならない。心身に無用、あるいは有害なものを与えるとそれは子供の心身を成長させない、それを損なう、甚だしい場合は殺すことになります。 私は、教育が子供を変える仕事だといってよいとおもいますが、この変える仕事は、教えるものがまず自分を変えることによってしかなしとげられないのです。ゲーテに、つくりかえられることによって、つくりかえるという語があります。 これは、教えようとするものは、その相手からまず教えられること、まず学ぶことが必要だということです。子供から学ぶことができるものだけが、子供を教えることができるのです。 参考文献 ジャンル別一覧
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