カテゴリ:スピリチュアル
与沢翼さんは「ずっと金のこと」を考えていると言います。奥さんの話を聴いていても上の空なのだそうです。これだけお金の事だけを考えていたら、お金だって貯まるだろうなと私は思います。 ここで考えなければならないのは、何かの観念が頭を支配している状態と、間断ないイメージを行う事とでは意味合いが違うという事です。 よくニューソートや自己啓発系、引き寄せの法則の考え方では、豊かさを常にイメージしましょうと言います。「自分は金持ちだ」という状態を常にイメージし、実感してみましょうと指導しています。しかし、現実はそんなに甘くなく、ほとんどの人がそれを行ってもお金持ちにはならないのですが、私は、イメージする事と、何らかの観念が頭を占領して離れないという事は意味合いが全く違うのだと思います。 多くの場合、イメージ法を使い「貧しい人」は「豊かに成ろうと」します。そのイメージがより具体性を持った現実感溢れるものであったとしても、「貧しいから豊かに成ろうとしている」という現実は変わりません。貧しいからこそ必死で豊かになるためのイメージ法を行っていると言えましょう。 これに対して、与沢翼さんのような人は、別にイメージ法を行ってはいないのです。むしろお金の事以外が頭に入らず、困っているような状態なのです。これは、イメージ法をしている人と全く感覚が違う事が分かるでしょうか。 実は、必死でイメージ法を行っている人の頭を占領している観念は、「貧しさ」なのです。貧しかったり、借金を抱えていたりして、それを何とかしようと考えている時間の方が長く、強いのです。それを打ち消そうとして必死にイメージ法を行っている訳なのです。 「貧しさ」を何とかしようとしている限り、どんなにイメージ法を使っても、そこから抜け出せないのが、現実ではないのでしょうか。ミロスアカデミーでは、「豊かさ」も「貧しさ」も全く同価値と述べています。豊かさを支えているのは貧しさで、貧しい状態に耐えていけるのも、内面に豊かさが存在している為です。豊かさが良い、貧しさが悪いというアンバランスを調整して、豊かさも貧しさも共に豊かさであると分かる時、与沢さんのように、貧しさを変えるための豊かさではなく、豊かさそのものから離れられないような精神状態に至れるのではないでしょうか。 どんなに、イメージ法を訓練しても、どんなに現実感のあるイメージをしたとしても、それが始まる基点が「貧しさ」だったなら、何にもならないのではないかと私は強く思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.05.04 11:17:58
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