カテゴリ:天皇はどこから来たか
天孫降臨のとき猿田彦神は さて、私は原始ヤマトをフェルガナ盆地に比定しているが、伊勢は大和の東南東あたりにあるのだから、フェルガナ盆地の東南東方向には猿田彦神や天鈿女に関連する場所があるはずである。然り、フェルガナ盆地からその南東のカシ(カシュガル)に通じる道の途中に“猿田氏”という地名がある! ちょっと違うか。(^^ゞ 正確にはSary-Tash(N39.5°E73.5°あたり)だが、《サルタシュ》と発音するようだ。もちろん最後の「ュ」は非常に弱い音だろう。 ついでだが、フェルガナ盆地の東方には“猿部落”もあることを付け加えておこう。。。これもちょっと違うか。(^^ゞ 正確にはSary-Bulak(N42°E76°あたり)である。ま、部落は音の偶然の類似だろう。そこが猿田彦一族の集落を意味する地名だったということは、まずあるまい。(^^; ところで、Tashは中央アジアの言葉の「石」を意味するだろうから、Sary-Tashはサル石であろう。“猿石”となると、何やら古代日本の謎に近づいてくる。 《猿石》には、もともと欽明天皇陵の堤に置かれていたらしい猿石の写真が掲載されている。欽明天皇は、宣化天皇の娘の石姫や小石姫を娶っており、また彼女らの兄弟には多治比真人がいる。 宣化天皇=橘仲皇女 | ┌―――――――+―――┐ | | | 石姫=欽明天皇=小石姫 多治比真人 私は多遅比や多治比を、タジク人を暗示するものと考えているが(→こちらを参照)、このような意味で私は、猿石と中央アジアに隠されたつながりがあるのではないかと想像している。 日本の猿石と中央アジアのSary-Tashは、単なる音の類似だけではない。キルギスタンあたりの草原には、突厥が作ったとされる石人がたくさんある。 草原の謎の石人 シルクロードの草原地帯には古代の遊牧民である突厥の人々が作ったとされる石人が多数あります。こうした石人には、武器をもったもの、顔だけのもの、女性の石人などいろいろな姿をしたものがあります。このように古代の遊牧民は、なんらかの記念碑として石人を立てたと思われますが、その意味は現在の研究では未だ謎のままです。 では、天鈿女と関係する地名はあるのか。やはりフェルガナ盆地の東方にウズゲン(Uzgen N41°E73.5°あたり)という場所がある。ここは天山山脈西端の山麓といってよいから、“天”山山脈の“ウズ”の“女”という意味で「天鈿女」という名がついたという可能性もある。天鈿女は猿田彦神を伊勢に連れていったのだから、もともとフェルガナ盆地付近の地理には詳しかっただろう。 神武東征のときには これらもただの偶然の一致にすぎないかもしれないが、ファンタジーの素としては十分すぎる類似ではなかろうか。 人気blogランキング ↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping |
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