カテゴリ:天皇はどこから来たか
現代では日ユ同祖論を唱えるのはオカルト趣味の変人程度でしかないのだろうが、かつては同じ日ユ同祖論でもいくつかの説があったようである。ここでは私が著書を参照するのできた川守田英二の説を取り上げたい。参照したのは川守田英二著『日本の中のユダヤ ~イスラエル南朝二族の日本移住~』たま出版.1990年 小谷部全一郎氏の『日本及び日本国民の紀元』である。日本の皇室は「ミカド」と申し上げるから、失われたるイスラエル十族中のガド族の末孫だというのが、その中心の主張である。土俗学見地から風俗習慣が日本とイスラエルが似ていると主張する。三種の神器中ヤダの鏡の容器は、モーゼが一オメルのマナを入れた金の壷があるとか、京都太秦(うずまさ)寺のイザラエの井戸の名は、イスラエルであると主張する。イスラエル東漸を預言者エリヤに結びつける。 川守田は日本の民謡の意味不明な囃子詞を古代ユダヤのヘブライ語で解釈し、日本人はユダヤ人だったという説をたてている。しかもその神名から、それが南のユダ王国からの移住者だと見なす。ユダ王国では神名にヤハウェ(エホバという)とその短縮形のヤーを使い、北王国ではエロヒイムを使っていたと考えられているからである。 日本が所有するヘブル詩歌即ち日本エホバ古典を検討すれば、……〔中略〕……神名エロヒイムの聖名は一回も出て来ない。ただ、東北民謡「ナギァド・ヤラ」と磐城(福島県)平町の盆踊り歌に「ヤー・エローイ」(エホバはわが神なり)と出てくるが、この「エローイ」は「エロハイ」で「エロハー」またはエロヒイムという神名の単数形であるが、どんなに注意深く探しても複数形の「エロヒイム」の聖名は見当たらない。だから日本エホバ古典の年代指定は、聖書のJ原典とE原典の合体されてJE古典となった紀元前700年以前に指定されなければならない。(p.254-255) 今回は、意味不明な民謡歌詞については省略して、歴史的にどのような移住ストーリーが考えられているのかを見ていく。 川守田は、『旧約聖書』のなかの「イザヤ書」に出てくる「東の国」を日本国と見なし、紀元前721年に南ユダ王国の預言者イザヤの一党が東に向かって旅立ったのだと想定する。 日本の先住民族はまず古代朝鮮民族の延長であるツングース種族、南支から渡航した苗種族、少数ながら南洋から漂着したネグリート種族……これらが末だ富士以北まで植民せられていなかった頃に、西部アジアからセム種族によって追い出されたヒッタイト種族が東漸して日本島に辿り着いた。その波にのってカナンの先住民も東漸して日本に新しいカナンの理想郷を樹立した。カナンの原語は「クナン」であり、カナン人の原語は「クナーニ」である。日本語の「クニ」はこれから出ている。カナン語の原語の意味は「商人」の意味である。カナン人は中国の絹の貿易通路を辿って、中国の中原を過ぎ、または天山南北路より迂回して日本島へ到着したはずである。カナンを征服したイスラエルの南北朝は滅亡に頻していた時、預言者イザヤを中心とするイスラエルの国粋党が、安全地帯への転住運動を始めた。……〔中略〕……国粋党を率いて天降ったのは天孫民種である。天孫民種はツングース種族、南支那苗種族、南洋ネグリート種族、蝦夷種族を一元化し、それに有史以来の北支那漢種族その他を加えて統合混成してできあがったのが大和民族である。大和言葉は絶対多数民種であったツングース種族の言葉と文法を骨子とし、これに天孫民種のへブル語を多分にとり入れ、他の民種の言葉を混成してできたものである。(p.28-29) カナン先住民が故地から追い出されて東漸し、日本を発見したのだから、その経路はなんといってもアラビヤの砂漠を越え、ウルに出て、それからペルシャのスサを経てアフガニスタンに差しかかる。それから天山北路か南路を歩いて黄河に沿って南下せずに、真直ぐに東行して、後の万里の長城あたりを歩みつづけ、朝鮮半島に出て、それから日本へ渡ったとみるのが妥当である。(p.351) 私としては、天皇家に近い日本古代の氏族は、中央アジアを経て天山北部から日本へ移住した人々と、ヒマラヤ南部からアッサム地方を経由してかチベット高原を経由してかで中国南部に到達してから日本へ移住した人々から構成されていたと想定しているので、移住ルートとしてはだいたい賛成できる。 川守田は、次のイザヤ書の一節をもって、彼らが日本に移住したと考えている。 あなたたちは東の地でも主を尊び、海の島々でも、イスラエルの神、主の御名を尊べ。地の果てから歌声が聞こえる。「主に従う人に誉れあれ」と。(「イザヤ書」24章15-16節) ところで、イザヤが中国や日本のことを知っていたかという問題がある。 イザヤ一味徒党には「支那」の存在は明らかであった。イザヤ書49章12節にある「シニムの地」は支那を意味していることは最近聖書学者の一致した意見である。だからイザヤ書24章16節は支那を越えた「地の端」であり「東の海の中の島々」(15節)は日本である。(p.29) ちなみに支那は秦(紀元前221年~)に由来する呼称だが、川守田は、この場合のシニムは晉だと見なしている。(p.351) 晉の文公(紀元前697~628年)より前に晉国は存在したのだから、紀元前700年頃のイザヤの活躍と時期的には重なるだろう。→《晉の文公》 川守田は大胆にも日本書紀の神々をイザヤとその子孫に対応させていく。(p.361~) まず、イザナギはイザヤであり、天照大神がイザヤの長女にしてヒゼキア王妃である。そして、アメノオシホミミは彼女によって生まれたインマヌエルである。アメノオシホミミの子は天孫降臨の 私としては、この天皇家ユダヤ男系子孫説はとらない。しかし、イザナギ神話はユダヤやヨーロッパと関係がありそうな気もするし、崇神天皇あたりでは古代ユダヤ人が密接に関わっているような気がするので、血統は無関係(または女系で縁がある?)にしても、中央アジアにおいて神話的・宗教的な領域で古代ユダヤ人からの影響があったと考えている。 ヘブライ語による川守田の解釈には、だいぶ無理があるような気がする箇所も多いが、古代ユダヤ教と神道の間には不思議な類似点もあるので、ひょっとしたら両宗教は兄弟ではないかという気がしないでもない。 人気blogランキング ↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping |
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