カテゴリ:天皇はどこから来たか
神社でよくみかける一対の狛犬。これが古代イスラエルと関連しているという説がある。今回はそれを見ていこう。今回のタネ本も、ノーマン・マクレオド,久保有政『[超図説] 日本固有文明の謎はユダヤで解ける』(徳間書店.2004年)である。 狛犬は、もともと「 しかし、日本の狛犬には、他国のものとは異なる幾つかの特徴がある。
クリックで拡大 ユニコーンの起源は、一体どこにあるのか。ユニコーンは、昔「かいち」() と呼ばれた。またもっと古く、中国では「じ」() と呼ばれていた。……キリンビールのラベルを見ると、首が短く、頭に角が一つある動物が描かれている。これは漢字で「麒麟」と書き、中国の想像上の動物で、やはりユニコーンである。(上掲書 20頁) 『漢和中辞典』(角川書店)によると、「は牛に似た神獣の名。人の戦うのを見れば、その邪悪の方を角で突き、人の議論を聞けば、その不正の方をかむという。後世、この部を裁判官の服に描く」といい、または、「野牛の一種。角が一本で、水牛に似て大きい」という。 さて、マクレオドによると、この獅子とユニコーンが古代イスラエルのユダとエフライムを象徴するのだという。古代イスラエルのユダ族は獅子で象徴され、エフライム族は雄牛で象徴される。ユダを獅子で象徴するのは、『旧約聖書』創世記49:9「ユダは獅子の子」からである。エフライムを雄牛で象徴するのは、おそらく『旧約聖書』申命記33:17「彼(ヨセフ)の牛の初子には威厳があり、その角は野牛の角。これをもって地の果て果てまで、国々の民をことごとく突き倒して行く。このような者がエフライムに幾万、このような者がマナセに幾千もいる。」から来ているのだろう。 この野牛がやがて一角獣になる。「一角獣の英語unicornは旧約聖書をギリシア訳する時に、大きな野生の牛R'emのヘブライ語を一角獣mono kerosとし、ラテン語でunicornusとなって以後誤伝したもの」(→《一角獣(ウィキペディア)》)である。 したがって、角のある狛犬はエフライム族を意味し、角のない狛犬はユダ族を意味するという解釈が出てくる。そして、一対の狛犬は南北統一王朝を暗示するとか、あるいは、神社はそれら二民族(を含む古代イスラエル民族全体)を従者とした神ヤハウェを祀ったものだという解釈も派生してくるだろう。もちろん、古代イスラエル民族すべての上に君臨する君主が日本の天皇であるという読みも出来る。 エゼキエル書37:19には、「神である主は、こう王仰せられる。見よ。私は、エフライムの手にあるヨセフの杖と、それにつくイスラエルの諸部族とを取り、それらをユダの杖に合わせて、一本の杖とし、私の手のなかで一つとする。」と記されている。ここで杖とは王権の意味である(創世記49:10)。すなわち、北イスラエル王国と南ユダ王国が再統一された国が成立するという預言がなされているのである。(152-153頁) エゼキエルは捕囚時代の預言者であり、紀元前597年~571年頃に活動したと想定されている。神武天皇の即位(紀元前660年)よりもやや遅いが、古代イスラエル人の南北再統一王朝が生まれるという理念が形成された時代とほぼ重なる点は興味深い。 北イスラエルの失われた十部族から天皇家の祖先がでたと見なすか、あるいは川守田説のようにユダの王族の末裔がバビロン捕囚以前に天皇家の祖先となったと見なすか、細かい点では議論が分かれるものの、広く日ユ同祖論の見地からは、一対の狛犬は、古代イスラエル民族が天皇のもとで統一された傍証にはなっているのである。 もちろん、これがインチキだという反論も可能である。 たとえば、上掲のマクレオドの挿し絵は西洋風であり、これに関しては日本古来の発想であったかどうか疑わしい。明治時代にユダヤ教をモチーフにして皇室の絵をデザイン化した可能性もある。江戸時代以前に、そのようなデザインがあったかどうかが問題である。だが、獅子と狛犬が一対になって神社や宮中に伝わってきたという点では、ユダとエフライムが神社や天皇を守っているという説は生き残るだろう。 また、かりに応神天皇の頃に天皇家が日本にやって来たとするならば、平安時代よりも遥か前から宮中や神社などに狛犬が存在していなければならないという反論がありうる。だが、神道はもともとは非常にシンプルで過剰な象徴主義をとらなかったので、仏教の隆盛に伴って象徴物を増やしていったとも考えられる。仏教が金ピカの仏像で飾りたてたならば、それに対抗して神道も自らを象徴的に表現しないと存在感が希薄になってしまうからである。 もっと端的に、狛犬はどう見てもライオンであって野牛ではないという反論がありうる。しかし古代の中国人もライオンを見たことはなかったわけで、あくまでも想像上の動物として理解されていたと見なすべきだろう。日本にはユダとエフライムの統一王朝という象徴的意味が最初にあって、のちにそれを表わすための象徴的図柄が中国の権威を借りて唐獅子として神社や宮中に登場したと考えることも可能だろう。図柄としては野牛が獅子に似ることによって元の象徴的意味が忘れられてしまったと想定できるのである。 人気blogランキング ↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping |
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