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2007年04月25日
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和

「天皇はどこから来たか?」連載中



これから展開する話は、天皇は中央アジアからやって来たとする私のファンタジーである。



 今回は、八咫烏に注目してみたい。八咫烏と金鵄とは混同されることがあるようだが、もとは別だったと考えるべきだろう。

ニュースな史点・2002 /7/14
この「ヤタガラス(八咫烏)」とはそもそも何者なのか。……〔中略〕……出典は『古事記』『日本書紀』の神武東征説話にある。神武天皇とはもちろん『記紀』が伝える伝説上の初代天皇である。それによれば天孫として日向(宮崎県)にあった神武たちが近畿地方に入ろうと「東征」を起こしたことになっており、摂津(大阪府)からの上陸は地元の豪族・長髄彦(ながすねひこ)の抵抗にあって果たせなかったため、神武たちは紀伊半島の南から回って山地を越えて大和地方に侵攻することとなっている。この時に苦戦する神武たちを天照大神ら神様たちが応援するため遣わしたのがこの「ヤタガラス」で、彼らを勝利へと導いたことになっている。その一方で地元の酋長たちのもとへ「使者」として遣わされたりもしているから、言葉を話せる人格を持ったカラスであったということになる。だいたいそのヤタガラスの子孫たちが賀茂県主といった人間として後世に存在していることになっているので、これは「カラス」というよりも限りなく人間に近い神様の一種と考えた方が良いんじゃないかという気もする(ある氏族の先祖を動物と考えるトーテム神話の一種ではないかとの意見もある)。「咫(た)」というのは手の親指と中指を広げた間の長さをいうらしく、字面からすると体長が「八咫」のカラスということになる(三種の神器の一つの鏡は「八咫鏡」というが、あれは円周が八咫なのかな?)。なお、『日本書紀』はなぜか「ヤタガラス」を「頭八咫烏」と「頭」字つきで表記している。

 ……〔中略〕……実は「ヤタガラスは三本足」なんてことは『古事記』『日本書紀』のどこにも書いてないんだよな(岩波文庫版の注釈には「大きな烏」としか書かれていない) 。……〔中略〕……このヤタガラスを祭神として祀る和歌山県那智勝浦の熊野三所権現のシンボルマークのヤタガラスのデザインが「三本足」になっているらしく、これが「ヤタガラス三本足説」の由来の一つではあるらしい。……〔中略〕……

 そしてこの神社のヤタガラスのデザインが果たして『古事記』のイメージするヤタガラスと一致しているのかどうかという疑問もある。僕の感触では、サッカー協会も言うように「三本足のカラス」自体は中国由来のもので、これが「ヤタガラス」とどこかで合成されちゃったんじゃないか、という気がする。


 私もこれは合成ではないかと思っている。八咫烏は、もともとは中央アジアでカラスまたは烏と呼ばれた民族で、それが太陽に住むという三足烏の中国神話と合成されたのだろうと想像している。

 以下の引用もまた推測にすぎない見解だが、中央アジアが八咫烏の発祥の地としてなんとなく臭いのである。

矢野憲一 「鳩の杖」
『晋書』には烏杖(うじょう)という杖の頭部がカラスの形になった礼器の杖が出てくる。これは古代インドのカシミールの西北地方に烏杖那(うじょうな.烏萇)という国があり、この名を略して烏杖といったそうだが、どうやらこれも関連がある気がしてきます。
 私は、杖頭の飾りの鳥には鳩だけが用いられたとは思いません。カラスも古代中国では霊鳥で、三本足のカラスが太陽にすむという神話があり、神武天皇の伝承にも三本足のヤタガラスや、天皇の弓杖に金鵄(トビ)が止まったとされ、鳥は神のお使いとする伝説がたくさんあり、鳥が霊的なシンボルとして道しるべとなる杖の飾りに用いられたと考えられます。


 私の想像では、天皇一族は中央アジアからバイカル湖あたりを経由して日本海のどこかを渡って日本に到達したのだろうから、このあたりに太陽神や三足烏の神話が残っていてもよさそうなものである。・・・ということで、前フリどおり高句麗にあったわけである。(笑)

日本の文化は日本のものです
三足烏は高句麗古墳壁画に集中的に現れる高句麗の独特の象徴物ということ。
中国吉林地方の五〓墳(ごかいふん)4号墓、角抵塚、北朝鮮平南の徳花里1,2号墳など高句麗古墳に描かれた三足烏を代表に選ぶことができる。


伝統工芸品 三足烏 爪切り3種セット
**三足烏について

古代神話に出てくる、太陽の中に住むという三本の足がついた想像上のカラス。三本足のカラスは元々東夷族が崇拝した神聖な鳥でした。古代人たちは三本足のカラスが太陽の中に住んでいると信じたし、ハンニムや海神を象徴する動物で檀君の杖の頭にカラスを彫刻することで檀君が神さまの獅子であることを現わしました。上古時代東夷族は中華族を圧倒して東アジアの盟主の役目をしたが後に漢族との競争に押されて中国思想の影響で「漢族を逼迫した東夷の象徴」のカラスに対する漢族の視覚が私たちの文化に染みこむようになりました。高句麗の古墳の壁画から現われた三足烏。そしてカラスの姿をした立木と十五夜のカラス祭などで神鳥としてのカラスの跡を捜すことができます。また三足鳥は高句麗の雙楹塚、角抵塚、徳興里 1号、2号古墳、鎧馬塚、江西中墓、天王地神塚、長川 1号墳、舞踊塚、薬水里壁画古墳、そして五つのお墓(五回墳) 4号墓、5号墓などに描かれています。

 《在瀋陽日本領事館》をみると、古墳の壁画は4世紀~7世紀頃に描かれたと思われるので、天皇一族が持ってきたものと考えることもできる。


 漢字文化圏に住む我々としては、烏という漢字がつく地名も確認したい。・・・と思って中国西域の地図を開くと、烏だらけ。(大笑) 単に wu や wo の音を表わすために使われたにすぎないのだろうが、現地語ではカラ(黒)という地名が多いという事情から、woという音を表記するのに烏という漢字が選ばれたのではあるまいか。

 天山山脈とその北方には烏(ウ)のつく地名がやたらと多い。たとえば、カラマイの南(N45°E85°あたり)に烏蘇(ウス)という地名がある。烏をカラに置き換えればそのまんまカラスになる。そんなわけで私は、中国西域で烏のつく地名は現地語では「~カラ」や「カラ~」だったのではないかと想像するわけである。

 私は、カラのつく地名に住む人々のなかに烏をトーテムとする民族があったのではないかと想像している。イリ地方に烏孫という民族がいた。これもまた単にウソンという音を拾っただけなのかもしれないが、ひょっとして烏の子孫を意味していたのではないかとも思う。


 もしも烏の子孫が烏孫族なら天皇一族は天の子孫すなわち天孫族である。テンソンが幼児的な発音になればテンション。幼児はサ行がうまく発音できないからね。これが中国人にテンシャン(天山)と聞き間違えられてもおかしくはないだろう。天孫族は天山族だったかもしれない。・・・う~ん、これはかなり苦しい結びつけかな? (^^;





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最終更新日  2007年05月31日 22時29分28秒
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